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日本の中世も興味深い
網野善彦さんの本を今回「日本の歴史をよみなおす(全)/ちくま学芸文庫」で初めて読みました。日本史は詳しくないのですが、読みやすく満足度の高い本だったので、2つほど内容を抜粋して紹介したいと思います。
●畏怖と賤視
●日本の社会は農業社会か
畏怖と賤視
差別されている『非人』には、乞食や身体障碍者、癪の病罹患者など様々な状態の人が存在しました(他にも犬神人や河原者と呼ばれる人々もいました)。当時はキヨメ・ケガレに対する畏怖の念が強く、穢れてしまった場所や事物に対応する事は一般の人には難しく、非人がその仕事を任されたようです。当時のケガレの概念はかなり強く、空間的に伝染すると考えられていたので、ケガレを除き、キヨメに移す作業をする人が必要とされていたのです。
そうなると非人というのは、誰もが出来る業務ではなく、ある種の特殊技能集団として畏怖されていたと考えられます。この辺りの説明が絵巻物「一遍聖絵」の画像を使いながらわかり易く説明されています。(今度博物館に行った際には絵巻物を見る楽しみができました)しかし年月が経つにつれて差別的な面のみが残り、江戸時代には「穢多・非人」として身分固定化されていきます。
日本の社会は農業社会か
百姓=農民と私も思っていましたが、それは違うようです。確かに、百姓(百の姓)という言葉をそのまま考えると、多くの人々の事を表しており”普通の人”が本来の意味かもしれません。日本は農業社会で百姓(=農民)ばかりであった、というイメージは一面的すぎる事が古民家の文書記録などから紹介されています。また、「水呑百姓」も今まではとても貧乏な百姓というイメージでしたが、これも異なるようです。教科書的には持っている田んぼの面積が少ない人や、田んぼを持っていない水呑百姓の割合が多い地域は米の生産力が低く貧しい地域とされていました。しかし、彼らは逆に農業以外の商業(交易)に力を注いでいたので、田んぼ(石高)中心の書物にはそれが表れていない可能性があるそうです。
本の中では、田んぼはとても小さいが交易する船を持つほどの、活発に各地と交易をしていた家の事が書かれています。中世の日本は商業の勢いが出てきて、各地に村や町が発生し市場取引が盛んになってきた時期で海外との取引も多かったようです。しかし織豊政権から江戸幕府に移る中で鎖国政策と共に農業社会に逆戻りしたのではないかとも考えられます。(著者は重商主義と農本主義の対立と述べています)
交易が活発になる中世の商業社会というのは、日本の資本主義の先駆けと考えると面白そうです。
4月は仕事も年度始まりで慌ただしく、読みたい本がなかなか消化できない日々が続きます。読んでいただきありがとうございました。