生きているだけでいい
2016年、私はお庭で土いじりを始めました。
きっかけは、あまりにも自分にできることがないときに、日光をあびる目的でお庭の草取りを始めたら、完璧主義から「一つも逃すまい」と作業を進めるようになり、無心になっていることに気づいたのです。
それが負のグルグル思考を少しだけ止められている気がしたこと。なんだか綺麗になるお庭をみて達成感があったことも、続けるモチベーションになりました。
そんなある母の日にお花をプレゼントしたいと思ったけれど、高価な切り花や、すぐ枯れてしまうカーネーションより、簡単な寄せ植えを自分で作ってプレゼントしたほうが安価だし、手作り感があって喜んでくれるんじゃないかな。
そんな思いがキッカケで、父に協力をお願いし、ホームセンターへ連れて行って貰い、園芸用土とジニアというお花を4色1株ずつ買い、たまたま庭に転がっていた色褪せたプラスチックの植木鉢に植え、母にプレゼントしました。それが私と園芸との出会いです。
お花には水をあげる。それ以外のことはわからない状態でした。インターネットで「育て方」を見て枯れたところをハサミでカットしてみたり、とにかく何も知らないのが良かった。
一時期、もうダメだなというくらい株が小さくなってしまいました。原因はわかりません。それでも、何かしらお手入れをして、お水をあげて、がんばれ!って応援していたら、秋が始まるころにモリモリ復活をとげてくれました。
もう諦めても良いような見た目だったのに、生命力ってすごい。などど感激したものです。
そんなことしかできない私ですが、母の日をきっかけに両親も植物の魅力に惹きつけられ、うちには少しずつお花が増えてゆきました。
自宅周辺は60歳以上の高齢の方が多く住む地域です。90歳近くの方もお元気で、お散歩を日課にしている人々が家の前を通ってゆきます。いつの日からか、そんな人たちから声を掛けられるようになりました。
お話を伺うと、息子夫婦のすすめもあり、老人ケア施設を終の棲家と決め、何十年と住んだ自宅を手放してきた、という方との出会いもありました。
お花をみて話しかけてくださる皆さんの目が生き生きして、これはサルビアね、これはマリーゴールドね、このお花は少し変わっているけど何かしら?綺麗ね。あ、そのセージはいい香りがるするでしょう?なんて言われるんです。
普段の話ではなかなか出てこない単語があっても、お花の名前は流れるように出てきます。そうか、この人たちにとって植物はとても身近なんだと感じました。
そしてご自身の生い立ちや、本当は植物が大好きだけど施設では土いじりができないこと。自宅に住んではいるけど腰を曲げる作業が辛く、植物のお手入れができなくなって寂しいこと。うちの庭のお花を愛でることが本当に楽しみにであること。何人もの方からそんなお話を伺いました。
ある日、私は働いてないし、できることが少なくて、落ち込んでばかりだけど、少しは人の役に立ってる。生きてるだけで、自分の知らないところでも役に立ってる。世の中ってそういう風にできているんだ、そう確信を得ました。
お花も生きているだけで、たくさんの人に優しさ、癒し、幸せな気持ちを与えてくれる。
その2点が繋がり「生きているだけでいい」なんて綺麗ごとだと思っていた気持ちが、ちゃんと腑に落ちてゆくのが分かりました。私は病になって、割と早くにそのことに気づかせて貰えたことが、本当にラッキーだったと思います。
しばらくは園芸にハマりにハマった生活を送りました。今はサボってばかりです。
また別の機会にしましょうね。