見出し画像

【自己紹介】こんにちは、めうちです。

こんにちは、明地儀子(めうちのりこ)です。
すでにプロフィールに書いていますが、私は…こんな感じの人間です。

現在、PMDD治療中。二児の母。臨床心理士・公認心理師・保育士資格保有(+心理療法関係資格)。医療・福祉・教育と様々な場で臨床経験を積むが、出産を機に退職。子育て中にPMDD症状が悪化し、治療へ。アニメ・漫画・ゲームが好き。好きな食べ物は明太子とオリーブ。

https://x.com/qIvoqhdJB14174

…みたいなことを書かれても、「???」となると思いますので、もうちょっと書かせてください。Xでは書けない内容もこちらだと書けるかなと思って、書いていきます。いろいろ詳しい話はまた後日書きます…多分。


めうち誕生~中学時代

1987年9月9日に日本某県にて出生。長女です。(でも兄と弟がいます)
親戚に女の子の子どもがいなかったこともあり、そういう点では女の子として可愛がられたとは思いますが、正直小さいころから「なんで女子はスカートを履かないといけないのか」「なんで女子は大人しくしろと言われるのか」みたいなことを感じていて、それを心の中で燻ぶらせている子どもでした。(自分で書きながら、すごい説明だなと思います 笑)

子ども時代はどちらかといえば大人しく、相手に応じて様子を見て対応する子どもだったと思います。勉強はちゃんとやっておけば文句は言われないので、勉強はやってました。暇な時間は漫画を読みだしたのはこの頃からでしょうか。
基本的に先生とか同級生には反発しないタイプでした。…というかそういう処世術にて生き抜こうと思っていたタイプでした。クラス替えとかお友達作りとかそういうのは苦手で、なるべく相手に合わせてやり過ごす…という感じです。明るいキャラの人はいいなと思いつつ、裏表が激しい人もいて、本音はなるべく言わない、攻撃しないをモットーに生きてきました。今も。

中学時代くらいになって、女子派閥というんでしょうか、あのグループに所属するのがとにかく苦手でしんどかった一人です。今でも会う友達もいないわけではないけど、なんでお手洗い迄一緒に行くのかなというのが理解できなかったです。(もちろんそんなことは周りには言わないけれど!)

愛読書は『ドラえもん』『ガラスの仮面』星新一氏のショートショートでしたね。

そんなこんなで大学へ。

…とはいえ、小学校の先生の破天荒な指導ぶりに登校できなくなったり、中学時代の担任に学級会みたいな場で吊るし上げて批判されたり、となかなかにしんどい時期はありましたが、高校が軍隊みたいな場所(と周囲の同級生が話していた、先生が生徒を従わせる感じがその通りだった)であったためか、とりあえず学校の勉強頑張ろうみたいな感じになって卒業しました。

とりあえずこの時代まで生きてきてわかったことは私はとことん体育の先生と合わないということ。声が小さいし、挙動不審なのですぐ叱られます。卒業式の返事とかも、あれは何で大きい声を出さないとやり直しになるんでしょうか。辛い。一生懸命やっていても、たぶんちょっと発達協調運動の問題があるのでできないんですよね。根性論ではどうしようもない。

大学時代は、わりと気の合う友人もできてなんだかんだありましたが、途中までは楽しく生きていけました。ただ、後半にいろいろ自分の人生の中で事件が起きまして、カウンセリングに通いました。あと、攻撃的な同級生と同じゼミになっていろいろ攻撃されたこともあり、しんどい日々でしたが、大事なことはやり返さないことだと学習していたので、わりと周りの人が味方になってくれて、そういう体験も含めて「心理学を学ぼう」という気持ちに。

臨床心理士になる。

さて、大学院に進んで、いろいろトレーニングを受けました。この時期はマジでしんどかったですね。うん…。大事な時期でもあったけど。クライエントであった自分、クライエントである自分をいろいろ切りつけられるような気持ちになる体験もいっぱいありました。正直、就職は別の仕事に就こうかなと思っていたくらいでしたけど、先生からのススメで「もうちょっと勉強してみたら?」と言われ、大学院に残りつつ、仕事をして生計を立てていました。そのうちに臨床心理士試験になんとか合格、臨床心理士になりました。

働いた場所ですが…いろいろあって、精神科病院や学生相談、福祉施設での療育、心理学の講義関係のお仕事、心理検査実施のお仕事…などなどでしょうか。心理療法関連の研修だったり、ボランティアなどもしていたりしましたね。

私の学生時代にはまだ公認心理師がなかったのですが、その後現任者講習を受けて試験を受験し公認心理師の資格も取得しています。あと、保育士も。保育士は独学で勉強しました。

退職、そして…PMDDとわかるまで

そんなこんなで働いていましたが、縁あって結婚。出産のため退職しました。というか育休が取れる雇用形態ではなかったので、辞めるしかありませんでした。本当は仕事を続けたかったんです。でも仕方ありませんでした。

そういう気持ちもあったからか、子育て中にものすごい気分の変動が発生しました。子どもが可愛くてたまらない時と、急に「仕事をしたかったのに!」「なんで私は働けないの」「これまで積み重ねてきた仕事はもうできなくなる!」みたいなですね…。だんだんとその不安定さが自分でも心配になり、心療内科を受診。月経前不快気分障害(PMDD)という診断が出て、服薬治療を行うことになりました。

これからの自分の目標

うーん、まぁひとつは治療をしっかりしていくことですね。そうして、少しずつ仕事にも復帰しているので、育児も仕事もできる限り頑張る(頑張りすぎない)こと。

私は、かつて自分がカウンセリングを受けていたことを誰にも伝えていません。でも、そろそろ向き合ってみようかなと思うようになりました。というのも、私は自分がカウンセリングを受けていて、それでクライエントとして感じていた体験もあって、それをセラピーに活かせてきたこともあるように思っていたんです。
でも、多くの周りの人たちは「クライエントはクライエント」という感じで一線を引いているような気がして。(わたしの気のせいだったらすみません。もちろんそういう人ばっかりじゃないこともわかっています。)セラピストになった人たちも、クライエントだった時期やクライエントである時期もあって良いと思うんだけど、そういう話はどこに行っても見つけられなかったんです。

なんだかそれがすごく孤独な気がして

そして、今クライエントとしてカウンセリングを受けている人も、もしかしたら自分の治療を通じてセラピストになりたいとか、臨床心理学を学びたいという思いの人もいるんじゃないかなと思って。
私もそうだったけど、でも、同じような人を見つけられなかった。
だから私がここに自分の物語や考えを書くことにしました。

死にたくなる自分や、自分を自分で傷つけたくなる自分がいて、それでもやっぱりそれも自分なんだと認めるまでにはすごく時間がかかりました。今もまだ、時折昔の「自分のなかの事件」に引きずられかけることはあります。トレーニングを積んだおかげで、だいぶ出てこなくはなりましたが。

でも、自分のなかの認めたくない体験や傷ついた体験も糧にして、私はやっぱりこころを支える、そんな支援者でもありたいし、でも自分も誰かに支えられていることを忘れず感謝して生きていけたらと思っています。

noteでは

Xではすごく自由に呟いているので、ここではもう少し真面目に、心理学に関することとか、私が学んできたこととか、仕事に関する思いとか、勉強したこととか。あとは自己紹介で書ききれなかった私の話もちょっと書かせてください。

あとは、自分がこうやって心理学を学んできた背景には、やっぱり生きづらさを感じて持ってきていたから、そういう生きづらさを持っている人に自分の言葉で少しずつ思いを伝えられたらいいなと思っています。

変わってるね、と言われ続けた私は、いつも変わっていると言われないようにビクビクして自分を抑え込んで生きていたけど、あなたはひとりじゃないよって子どもの頃の私に言ってあげたいことが大人の私にはたくさんある。だから、そういうことを綴っていけたらなと思います。

良かったらご覧ください。

いいなと思ったら応援しよう!

明地儀子(めうちのりこ)
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは記事を書くために使わせていただきます!還元します☻

この記事が参加している募集