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値上げの時代に質を追求する生き方を

 お米が5キロで4000円近くなり、チョコレートは100円で買えなくなりました、ガソリンはレギュラー1リットルあたり200円時代が目の前です。

 値上がりのニュースばかりになると、財布の中身が気になってしまい、息が詰まります。スーパーでキャベツを400円で買ったら、たまたま立ち寄った産直で300円で売っていたなんて出来事があると、その100円差が今後の一生を左右していたんじゃないかと、そんな気分になってしまいます。

 どんなにエコノミストな生活をしていても、破綻するときには破綻するのです。私は以前に"支出を幸せ代として考える"というnote記事を投稿しました。

 ざっくりとまとめると"出たお金を数えるのではなく、出たお金で得た経験を考えよう"という話です。私は常にこの思想で生きているので、未だに貯金だの資産形成だのと言う考えを持っていません。クルマとバイクは2台持ち、パートナーは収入不安定なフリーランス、会社の住宅手当は廃止に…なんて状況でも、好きな事をやってそれなりに生活出来るというのを私は体現しているつもりです。

 さて、最近この"出たお金で得た経験を考える"と言う思想に、新たな風が吹きました。

 "同じ金額・同じ時間が必要なら質を高めよう"と言う考えです。

 例えば、食事です。私は元々早食いでした。"農家は早食い"とよく言われますが、実際私の実家は農家だったので、農繁期の家族の食事と言えば、12時に帰宅したらババババッ済ませて直ぐに昼寝をして13時から農作業再開と言う感じでした。食事と言うよりかは、作業の一環に組み込まれているような、そんな感覚でした。その後、社会人になっても私の食事時間が長くなる事はありませんでした。

 そんな私は最近よく噛んで食べるように心がけるようになりました。あらゆる食品が高くなっていると言っても過言では無い昨今です、同じ材料で食事をするなら、時間や会話も楽しもうと考えるに至ったのです。

 よく噛んで食事をするというのは当たり前の人からすると、何言ってんだって話ですが、私からするとこれがなかなか難しい…。数回噛んだ内に勝手に口が喉に食べ物を押し込もうとするのです。それを堪えようとすると、咽てしまうのです。

 意識するようになって1ヶ月で、大分食事の時間が長くなったなと感じるようになりました。今までのように私がせかせかと先に食事を済ませてしまい、まだ残り3分の2程残っているパートナーに気を使わせる事も無くなりました。今までは空腹を満たすだけで、栄養補給というニュアンスの考え方が強かった食事という行為に、会話や時間を楽しむという事が出来るようになったのです。また、当たり前ですが、よく噛んで食べた方が栄養の吸収効率が良かったり、脳への刺激にも繋がるので、ほぼデメリットが無いとも言えます。

 このように"同じ金額・同じ時間が必要なら質を高めよう"と考えるようになると、日々の生活も変化します。休日も家で過ごす時に、今の時期は暖房がフル稼働していますが、同じ暖房の下で過ごすなら、ダラダラとスマホで動画を見て過ごすのでは無く、勉強をしたり読書をしたり、このようにnoteを書いたり読んだりして"知見を得る"という事を意識するようになりました。

 生活の質、QOLなんて最近はよく言いますね。今回はあくまでも私の思う"QOLの高め方"の話です。私にとっての"質"は会話や時間を楽しむ、知見を得るという事に考え至りました。会話を楽しみ、よく噛んで食事をする事で、慣れた食品でも味の感じ方は変化し、そこに料理の持つ奥深さに気が付き"質の高い生活"という存在を感じました。また、急いで食べない事により余裕も生まれます、そこにも"時間単位としての質"を感じます。自宅で過ごす時も、本を読む事により、note執筆のヒントや表現、物事の見方に変化が訪れ、ここにも食事の時と同じような"時間単位としての質"を感じるのです。

 しかし、これを強迫観念のように意識してしまうと、値上げの世の中に輪をかけて息苦しくなってしまうと思います。"質"はお金や物だけでなく、心の在り方にこそあるのです。まずは、自分にとっての"質が高い"とは何かを考えて、肩肘張らずに取り組んでみてはいかがでしょうか。



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