
【読書記録】 小説 「炎環」
日本史の知識の9割が歴代大河から身につけたものと言っても過言でないくらい、大河ドラマオタクなイシマルです。
当然、「鎌倉殿の13人」も毎週正座で観ております。
今回の大河、今までと少し違うのは、タイトルが示す通り、群像劇の色合いが濃いことです。
鎌倉時代から戦国時代の物語って、もちろん沢山人は出てくるのですが、主人公は1人か2人(夫婦とか)で、あとは重要だけど副主人公たち、という構成が多いと思います。
一族一門の当主が中心におり、周りの国や一族は「他家」という相関図があるわけです。
でも、今回のお話しはそれとは様相が異なるのです。
先週から源平の戦いが始まりましたが、それが終わるまでは、平家という物理的な敵も、新旧体制という概念上の敵も、源氏や北條の「外」にいます。
よって坂東内でも、これまで権勢を振るってきた旧勢力につくのか、それともその正当性に疑問を投げつけ、「横暴な権力者」に一矢報いる側につくのかを考えますが、いずれにしても「外」を意識しているのです。
ですが、一度外の敵が打ち破られれば、次に槍玉に上げられるのは、味方の中の邪魔者です。身内の血みどろの権力闘争が繰り広げられていくのです。
其々が腹に一物抱えた人物ばかりだし、皆一様に相手を出し抜けると考えている。
自分の方が一枚上で、最後に勝つのはこの俺だと全員が信じている。
でも、身内であるが故に瞬時には動けない。だから諜略戦になっていく。その騙し合い、裏のかき合いの糸が絡まっていればいるほど、集団そのものが主人公となる、群像劇になっていくのです。
このことに気づかせてくれたのが、永井路子さんの小説「炎環」です。
スパゲッティ状態に絡み合った人混み群像の中の、通常スポットライトが当たらない一人一人が、いかに最後に笑うのは自分だとばかりに策を弄して消えていったか。
始めの3章でそのうちの3人を中心に据え、最終章で、各ターニングポイントでの義時の振る舞いが浮き彫りにされていくのです。
すごない?
ちなみにこの小説、1978年の作品です。
すごない?
これを読んでから鎌倉殿を見ると、今はまだ名前しか出てきていないあの人や、名前すら出てきていないあの人が、どうこの沼に投入され、どんな漣を立てていくのか、はたまたいかないのかがより一層楽しみになっていく。
今の展開スピードでいくと、義経はおろか、下手したら頼朝も夏には退場していそうなので、その先を楽しみにするためにも、オススメの一冊です。
明日も良い日に。
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