電子書籍ではなく紙の本として手元に本を置いておきたい。
最近手元においている本『365日の広告コピー』のたまたま開いた1ページの言葉。
この言葉を読んだとき、たしかになぁと思った。
今僕には、本を読む習慣がある。
本を読みはじめたのは小学生の頃、よく読むようになったのは中学生の頃で、朝読書の時間や暇な休み時間に読んでいたような気がする。
褒められたことではないけれど、退屈な授業中に隠れて読んでいたこともよく覚えている。
そんな感じで本が身近にある生活を送ってきたらからか、高校生の時や大学生の時、社会人となった今でも本をよく読んでいるのだけど、もし子どもの頃、本を読む機会がなかったら、身近に本がなかったら、果たして今も本を読む習慣があるのかどうか怪しいところである。
たまたま本が身近にあったから、本を読むことがすきになったということかもしれないけれど、家庭に本がたくさんあったかと言えばそうではない。
学校の朝読書がきっかけで本をよく読むようになったようなものなので、そこにはたしかに本に興味をもち、読むことが楽しいと感じる自分がいたからだと思う。
そう思うのは、同じように朝読書の時間があった学校の友人・知人みんなが、本を読む習慣があるわけではないと思うから。
その人の価値観とか好みのベクトルによって、本を読むかどうかは決まるのだと思う。
とはいえ、はじめに紹介したコピーはそんなことを言っているのではなくて、本が好きかどうかではなく、読むことがあるかどうかというところの話。
身近に本がなければ読む機会もなく、すきかどうかもわからないし、読むことに慣れることもなくなってしまいそうなので、自然と読むことに抵抗が生まれ、「読むこと」≒「本」が嫌いというふうになってしまうのだと思う。
僕が電子書籍ではなく紙の本として手元に本を置いているのは、身近に本のある環境を作りたいからなのかもしれない。
そんなことを思った今日このごろ。