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もし、あの人が源氏物語と出会っていたら

歴史好きな人なら、もし、あの人物が今生きていたら何を思うか、とか、違う時代に生きてたあの人とあの人が出会ったらどうなっただろう、と妄想したことが一度はあるのではないでしょうか。

さて、我が家ではテレビドラマをあまり見ないため、流行りのドラマや俳優さんには全くもって疎いのですが、そんななかでも習慣的に見ているのが大河ドラマです。今年の「光る君へ」は、小学校高学年で青い鳥文庫『あさきゆめみし』ノベライズに出会ってから源氏物語に興味を持った私にとってはまさに、毎週の「憂き世のなぐさめ」です。これまで、絵や文章でしか見られなかった平安装束や儀式を毎週映像で見ることができるのは眼福です。

そんな私が今妄想することは、

もし、ジェーン・オースティンが源氏物語と出会ったら何を思っただろう


そう思ったのは、高校と大学の授業でのことゆえかもしれません。私は大学で文学を専攻していたわけではありませんが、1年生の時に英文学の入門講義を受講していました。19世紀前半の文学の回でジェーン・オースティンの特色として「自由間接話法」が用いられているという話題が出たとき、「これって、源氏物語でもあったやつじゃない?!」と直感したのでした。というのも、三人称視点の地の文の中に、一人称の登場人物の心情を交ぜて語る例として私の頭に、咄嗟に浮かんだのが高校の授業でやった「若紫」の一節だったのです。

ねびゆかむさまゆかしき人かなと、目とまり給ふ。さるは、限りなう心を尽くし聞こゆる人に、いとよう似奉れるが、まもらるるなりけりと思ふにも、涙ぞ落つる。

若紫

源氏物語の地の文の語り手は女房であり、光源氏をはじめとする高貴な登場人物に対しては基本的に敬語が使われています。例えば、上記の文の前半では「目とまり給ふ」と光源氏に対する尊敬語が使われています。けれど、後半箇所の最後では「思ふにも、涙ぞ落つる」と敬語が使われていない。なぜか―それは、語り手がこの瞬間光源氏と一体となっているのだからだと、先生が力説していたのが強く記憶に残っていたのでした。

また、一見キラキラした恋愛小説のようでいて、その実シビアなところもどこか似ているなと思うのです。
源氏物語は一夫多妻の貴族の世界、ジェーン・オースティンの作品は一夫一妻制の地方のジェントルマン(地主階級)の世界と国も違えば社会背景も大きく異なるため単純な比較はできません。
それでも、女性が自由に生きることがままならない時代、女性の人生において「実家の経済力」と「結婚」が大きな鍵となる、というのは両者に大きく横たわるテーマなのではないでしょうか。
そして、自身も姫様と呼ばれる階級に在りながら余所の家に仕える(仕えざるを得ない)女房たちの立場も、19世紀イギリスが舞台の作品によく登場するガヴァネス(家庭教師)にどこか通じるものを感じます。

イギリス人のアーサー・ウェイリーが源氏物語を英語に訳したのが約100年前のこと。もしそれよりさらに100年前にイギリスにもたらされ、ジェーン・オースティンが読んだら、何を感じ、何を書いただろうかと空想が広がります。
とはいえ、「田舎の村の 3 つ 4 つの家族こそ題材としてうってつけ」「自分の命が危険に晒されるというのでもなければ真剣なロマンスを書く気にはなれない」と言っていたオースティンならば、藤壺や六条の御息所のような最も高貴な女性たちよりは、空蝉や夕顔、浮舟のような「中の品」の女性たちの物語に興味を惹かれるのではないかなとも考えるのです。

もう一人、源氏物語と出会うところがみたかった人

さて、ただいま私は前述のアーサー・ウェイリーによって英訳された源氏物語、それの日本語に戻し訳(訳者の毬谷さん・森山さん姉妹は「らせん訳」という言葉で表現しています)したものをゆるゆると読み進めています。
ちょうど今月のNHKの100分de名著にも取り上げられていますね。

読んで思ったのが、

この話、エロール・ル・カインに挿絵を描いてほしい。

1941年にシンガポールに生まれ、1989年に47歳で亡くなるまでに『おどる12人のおひめさま』『いばらひめ』『魔術師キャッツ』などの絵本を手掛けたエロール・ル・カインは、あのさくらももこさんが魅了されてやまなかった絵本作家でもあります。

数年前に展覧会を見たときに、印象に残っている作品が『まほうつかいのむすめ』です。

ベトナム戦争の孤児を養女として迎えたアントニオ・バーバーが、その娘のために創作した物語。建物は西洋風でありながら風景は東南アジア風であったり、中国風であったり、そして主人公である魔法使いの娘は平安時代の姫君を思わせるいでたちをしている、何とも不思議な世界観です。(残念ながら絶版)
日本、香港、インドなどで少年時代を過ごした彼はどこかで源氏物語の存在にも触れていたのでしょう。
帝がエンペラー、内裏がパレス、琵琶がリュートと語られるこのウェイリー版”ヴィクトリアン・ゲンジ”に、彼の絵柄はぴったり合うのではないかと思いました。
もしル・カインが存命だったら80代。
東洋のものとも西洋のものともつかない、うっとりするような緻密で色鮮やかな源氏物語絵巻を彼に描いてほしかったものである―とかなわぬ夢を思い浮かべてやまないのでした。

カバー画像出典:
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d5/DeScott_Evans_Arranging_Pink_Roses.jpg


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