ヂダラク

その作品を知らない人にそれを読みたい、観たいと思わせ、既に知っている人に対しても新しい…

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その作品を知らない人にそれを読みたい、観たいと思わせ、既に知っている人に対しても新しい気付きを与えることができるような文章――そういうものを書いていきたい。

最近の記事

アニメ『小市民シリーズ』を見た人は既に直木賞受賞作の入り口に立っている

原作を薦めるのでは芸がない。 映像化された作品の原作の売れ行きが良くなるというのはもはや物は上から下に落ちるというくらい当たり前のことになっている。わざわざ自然落下を引き起こすために下向きの力を加える者はいないし、同様にわざわざ映像化された作品の原作を推す必要もない。 しかし、リンゴが落ちるさまから$${F=ma}$$という普遍性を導いたニュートンでさえ量子の世界では付き合いあぐねているのが現状だ。やはり何にでも例外というものはある。もしも「リンゴを落としたはずが床で潰れ

    • 【前半無料】今更過ぎ? それでも語りたい 2024春アニメの良作・駄作

      完全に見積もりを誤った。 私は一体今をいつだと心得ているのだろう? 前季のアニメが終わってからはや1ヵ月、すでに新季アニメも全体の3分の1に差し掛かろうかという時期。もはや前季アニメの総括を出す時期としては遅すぎることは論ずるまでもない。ウサギとカメの童話に描かれていない圧倒的ビリがいるとしたらそれが私である。次回はもう少し計画性を持って執筆にあたりたいところだ。 しかしそんなことを言っても書いてしまったものは仕方がない。せめてもの供養として私は本記事を公開することにした

      ¥200〜
      割引あり
      • 〝好き〟の見つめ直しを彩る小説 『海の見える街』書評

        〝好き〟なことで生きていく。そんな意味のキャッチコピーをあちこちで目にする世の中になった。 〝好き〟を前面に押し出しているという意味では推し活というのも同じムーブメントの一形態として捉えられると思う。また同様に、〝好き〟を共有し、相互に共感し合うSNSが人口に膾炙するのも、至極自然な流れだろう。 〝好き〟に理由は要らない。〝好き〟は何においても優先する。そんなイデオロギー形成の中で、果たして〝好き〟とは何なのかを真剣に考えた人はどれほどいるのだろうか。 今回私が紹介する

        • アニメ業界の闇を暴こうとして見えた意外すぎる真実 『デルタの羊』書評

          今季(2024・春)アニメは『ガールズバンドクライ』や『夜のクラゲは泳げない』など、クリエイターの共感を呼ぶ作品が話題となった。映画の方でも『トラペジウム』や『数分間のエールを』などが注目されたりしている。 しかしこれらの作品がフォーカスしているのはアニメ業界でいうところの〝制作〟に関わる人たちであって、〝製作〟に関わる人たちではないことに気づかれた人はどれほどいるだろうか。 おそらくこの二語の違いがいまいちピンとこないという方も多いだろう。しかし、この違いを知らなければ

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          ミステリーが苦手な人ほど読んでほしい 『方舟』書評

          私はミステリーが苦手だ。 いや、この言い方は少し責任転嫁の観があるので言い直そう。私はミステリーを楽しめるほど頭がよくないのである。 おそらく最もミステリーを楽しんで読める人というのは、作中の人物と一緒になってものを考え、たとえ結果的に間違っていたとしてもある程度妥当な推論を持ちながらそれを読める人たちなのだと思う。逆に言えば馬鹿には向かないということだ。悔しい限りである。 無論これはミステリーが私に向かない一要因にすぎないのであって、一から十まで全てがこの理屈で説明で

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          アメリカ先住民の大自然に生きる哲学 『リトル・トリー』書評

          芥川賞、直木賞、本屋大賞――文学において○○賞と名のつくものは多い。 しかし大体の場合において文学はその賞を冠した瞬間が最も繁栄を極め、あとは先細って古本屋の角にでも押しやられるというのが通例となっている。次に注目されるのはそれを書いた作家が死ぬ時だ。全く現金なものである。 だからどんな高名な賞を受賞した作品でも、古本屋ではついぞ売れなくて廃棄となったり、図書館でただその背表紙をいたずらに褪色させるだけの日々を送るなんということが起こりうる。今回私が手に取った『リトル・ト

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          読みにくさとの闘争の果てにあったもの 『白鯨』書評

          無知とは恐ろしいものだと思う。 私の選書の仕方の一つには、既に読んだ本の中に登場した書物――ないしはその本に影響を及ぼしたであろう書物のうち、面白そうなもの選ぶというのがある。 しかし大抵の場合、そういった本というのは本文中では援用的に引き合いに出される程度が常なので、当然その本に関する詳細な情報はほとんど得られない。 つまり、私が『白鯨』を手に取ったのもそういう背景があった。 1980年に第一刷が出版されたかなり古い本で、芥川賞・直木賞受賞作家のエッセーをまとめた『

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          現実に疲れたあなたへ贈る一休み 『西の魔女が死んだ』書評

          読書をする人には意外と「何度も読み返した」と口にする本のある人が多いらしい。 しかし時間を無駄にしたくないという貧乏性のせいからでもあるのだろうが、どうも私にはそういう本が無いようだ。そしてこれを自覚する度に私の脳裏にはこんな言葉がちらつくのである。 私は自身を「読書家」として認知してほしいなどとはちっとも思わないのだが、そんな風に開き直ってもこの指摘の本質からは逃れられないように思う。 もっとも、これに抗するために何か繰り返し読む本を用意するなどというのは全く滑稽話に

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          意外と知られていないSFの多様性 『新しい世界を生きるための14のSF』書評

          アンソロジーというのはどうも読み終えるのが遅くなってしまっていけない。 一つ一つが独立した短編であるため手に取りやすいという利点はもちろんある。しかし、一つ一つが独立しているがゆえに連続して手に取る必要がないというのもまた事実だ。すると、元来読書好きとは言えない私の心には隙有りとばかりにオブローモフ気質が入り込んで、これをしばしば中断させてしまうようである。まったく困ったものだ。 私の記憶が正しければ『新しい世界を生きるための14のSF』に手をつけたのは去年の八月ごろだっ

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          クライムサスペンスの皮を被った読書論 『半暮刻』書評

          読後感という言葉がある。 これはいわば本の〝後味〟とも呼べるようなもので、これが良いものほど後の記憶には残りやすい。 基本的に世の人は刺激の強いものを好む。しかし大抵の場合、それは〝味〟に関する刺激であって、〝後味〟に関するものではない。そして〝味〟が刺激的なものというのは、およそ感想を聞いても「美味かった」「甘かった」「辛かった」と通り一遍の返答に堕しがちだ。 例えば(少し古い話題で恐縮だが)、「倍返しだ!」でおなじみの『半沢直樹』というドラマが一時おもしろいというこ

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