【前半無料】今更過ぎ? それでも語りたい 2024春アニメの良作・駄作
完全に見積もりを誤った。
私は一体今をいつだと心得ているのだろう? 前季のアニメが終わってからはや1ヵ月、すでに新季アニメも全体の3分の1に差し掛かろうかという時期。もはや前季アニメの総括を出す時期としては遅すぎることは論ずるまでもない。ウサギとカメの童話に描かれていない圧倒的ビリがいるとしたらそれが私である。次回はもう少し計画性を持って執筆にあたりたいところだ。
しかしそんなことを言っても書いてしまったものは仕方がない。せめてもの供養として私は本記事を公開することにした。
さて、私はランキングというのが好きではない。千差万別の好みを平均化して「流行はこれですよ」と示し、さもロードマップかの如く振舞って、上から順に消費していくことを奨励する。結果、埋もれる良作は増える。
もちろん全てのランキングが悪いとは言わない。例えばとりわけ私が好きなのは〝独断と偏見に塗れたランキング〟である。それが私の好みと全く対極をいくようなものであったとしても、そこに各人の熱が感じられるのであればそれは間違いなく良いランキングだ。
それからこれはアニメに限った話だと思うのだが、クール頭に毎度毎度「豊作」という言葉がナンパ師の「君カワイイね」と同じくらい乱れ飛んでいるのにはなかなか閉口する。種を蒔いた時点で「今年は豊作だ」と言う農家があるだろうか? たとえその種が優れたものであったとしても、それは実りを保証するものではない。
こう考えればアニメが始まる前から――あるいは始まった先から「豊作だ」と騒ぎ立てる軽薄さがよくわかると思う。本来「豊作」は実りの結果に対して言うものだ。だいたい「今年は飢饉だ」なんて言っているのを私は一度も聞いたことがないのである。毎度毎度「豊作」ならそれは「豊作」ではないだろう。めでたいやつもいたものだ。
まぁそんな御託はさておき、本記事では前季のアニメのなかで特に優れたもの、そして特に酷かったものを取り上げていくのだが、事に当たっては何より先にレギュレーションというものを提示しておきたいと思う。
①放送終了作品のみを対象とする。
②全話観た作品のみを対象とする。
①は、2クール連続放送として継続している作品は評価対象外とするという意味だ。なぜならそれらの作品は成長途中にあり、実りの結果を見ることはまだできないからである。なお、分割2クール作品は二期作とみなし、実りは評価できるものとする。
また、②に関しても似た議論ができる。つまり、ある作物の一区画の実りだけをみて「これは良い出来だ」と言ってみても、その他が火事で焼け野原になっているようでは意味がないということだ。逆もまた然りである。
それからこれはレギュレーションではないのだが、本記事の方針というものも私はここで明示しておきたい。
①ベストサイドは可能な限りネタバレに注意する。
②作品に順位付けはしない。
③ワーストサイドは容赦しない。
①は私が良いと思った作品をそれをまだ観ぬ人にオススメするがための配慮である。というのは、この記事を読むことがその作品の面白みを横取りする結果になったり、その作品を観た気にさせたりするのでは紹介する意味がなくなってしまうからだ。
しかしその一方で、私が普段から書評の方で心掛けているように、本記事は「既にそれを観た人にとっても新しい気づきを与えられるような」ものとなるように努力している。特に私が今季一番感動した作品について語る段では、おそらく他では見られない面白い洞察が得られると思うので、是非ともご期待いただきたい。
②については既に述べた通りだ。③については後程改めて詳述する。
さてさて。初めての試みなので、前段が随分長くなってしまった。多分首を長くして待つなんてことができない多くの方々はこんな導入はOPをスキップするかの如くに全部すっ飛ばして先へ行ってしまったであろう。現代においてろくろ首が絶滅危惧種と目される所以である。
ではこんな冗長な導入にお付き合いいただいた一部の絶滅危惧種の皆様と一緒に彼らを追いかけていきたい。まずはベストサイドの作品たちだ。
ベストサイド①:怪異と乙女と神隠し
まず私がベストサイドの1作目に挙げるのが、そのストーリーのそつがなさと際立った構成美を高く評価したい『怪異と乙女と神隠し』だ。
本作の主人公・緒川菫子の特筆すべき特徴は、ニール・スティーブンスン著『スノウ・クラッシュ』における女性アバター作成の手引きを彷彿とさせる。
菫子は間違いなく<ばかげている>の部類に入る。
とはいっても、本作はそういうエチエチした空気を売りとしているわけではない。寧ろどうしてOPの映像をあんな色っぽいものにしてしまったんだろうという疑問を感じてしまうくらいに内容はしっかりしている。
本作は「逆万引き」と呼ばれる知らぬ間に書店に本が増えるという怪奇現象から始まる。一見ありがたいようにも見えるこの現象だが、私は在庫管理の観点からこの書店で働くことは御免被りたい。B〇〇K〇FFの従業員ばりのあらぬ疑惑をかけられてはたまったものではないからだ。
それはさておき、菫子は店長から逆万引きによって増えた本をプレゼントされ、その本を持ち帰る。作家志望の彼女は帰宅後パソコンへと向かうが、どうしても幼い頃の創造性を発揮できずに行き詰まり、憂さ晴らしにその本を手に取った。
次の日、菫子が出勤していないのを不審に思った同僚の化野蓮は、彼女の家を訪れる。するとそこには体が縮んでしまっていたコナ……ではなく、体が縮んでしまっていた菫子がいた。
もちろん彼女は黒ずくめの組織に襲われたのではない。彼女の胸が<ばかげている>状態でなくなったのは、声に出して読んではならない「呪書」を声に出して読んでしまったからである。そしてそれを看破する蓮もまた神隠しという名の怪異であった。
以降この二人はコナンにおける事件のように周囲でやたらと頻発する怪異を解決していくこととなる。しかし蓮の方には、妹の乙とともに元の世界に帰るため、呪物を集めるという切実な目的があった――。
さて、本作の魅力の一つはそこに登場する怪異を一般的なオカルト要素だけではなく、事実に基づいた情報を含めながら組み立てているところだ。これにより登場人物たちの語り口にはどことなく真実味が漂い、視聴者を惹きつける。
また、Vtuberの怪異という現代にチューニングしたエピソードでは、付喪神や画霊などと搦めて語られることにより、単なる創作都市伝説のような流行への便乗ではなく、地に足の着いた話として説得力を放っているのも見どころの一つだろう。
しかしそれだけしっかりした内容でありながらも、本作は視聴者に対するサービス精神も忘れてはいない。先にも紹介した乙という女の子が持つ幼いツンデレ属性は男性諸氏の心を幾分くすぐるものがあるだろうし、一方で熟女好きの紳士な方々には菫子を提供しているのだから抜け目がない。強いて言えば、「問題はむしろその中間がないことにある」という某調査兵団兵長の言だけが突き刺さるところだ。
だが本作の最大の魅力はこれらの要素を巧みに繋ぎ合わせ、非常に高い完成度のストーリーとして仕上がっているという構成の美にこそある。
この手の作品は各事件ごとの独立したストーリーが際立ってしまい、全体としての流れがぶつ切りにされている印象を受けることが多い。しかし本作は要所要所で登場人物たちの関係が絶妙な量と質で描かれ、物語が突如登場した誰かによって振り回されるという事態を回避するばかりか、自然と配置した伏線を滑らかに回収していく鮮やかさを見せる。
このように、超常現象を扱うストーリーとしては稀に見る綺麗に筋が通った1クール完結作品として、私は『怪異と乙女と神隠し』を推したいと思うわけだ。もっとも、私の言う『怪異と乙女と神隠し』が何を指すのかは本作を観終えるまではわからないはずだが。
なお、本作に登場する怪異「紅衣小女孩」は作中では一つの事件として比較的さらっと扱われているが、実はちょっとだけ本作の核に触れる一面を持っているような節がある。本作の視聴後は少しだけこれについて調べてみるのもまた一興だろう。
ベストサイド②:WIND BREAKER
私はファン心理からではなくとある事情から『鬼滅の刃』に関する書籍を読み漁ったことがある。そしてその結果、10冊中ただ1冊を除いてすべての書籍が思慮のたらない浅薄な、人気に便乗するだけの紙の無駄遣いであったという結論を得た。
して、それらの文章の中には炭治郎のことを「主人公らしくない主人公」と評するものが何冊かあった。この主張に、私は呆れかえって開いた口が塞がらなかった。
普段ろくにアニメを見ていないような輩が葦の髄から天井を覗くからそんな戯言が生まれる。どこからどう見たって炭治郎は「王道の主人公」だ。真に「主人公らしくない主人公」とはどんなものか、私は今ここで彼らの顔面にそれを突き付けたい気持ちがする。
さて、唐突ではあるが次の日常のワンシーンを想像してみて欲しい。反抗期真っ盛りのツンツンした男の子が、誰かから「ありがとう」と感謝を伝えられ、素直に「どういたしまして」と言えずに「ふん、別に」と顔を赤らめてそっぽを向く。アニメでもよく見られる普遍的な描写の一つだ。
しかしそれが高校生になってもまだ続いていたらどうだろうか? つまり、『WIND BREAKER』の主人公・桜遥はそんな幼さを備えた真に「主人公らしくない主人公」なのである。
個人的に漫画から追っていた本作は、いわゆるポスト『東京リベンジャーズ』として捉えられるような、比較的若い世代をターゲットにする喧嘩アニメとして位置付けられる。しかし『東京リベンジャーズ』の主人公タケミっちと『WIND BREAKER』の主人公桜を比較すると、何一つとして似ているところが無い。ここは是非とも議論を展開すべき点であろう。
まず、二人の主人公の間にある何よりも決定的な違いは戦闘力の差ということになるだろう。タケミっちは雑魚中の雑魚だが、桜は名だたる強者と肩を並べる実力を持つ。
しかしそれでいて本作は転生モノのように桜が無双するような話にはなっていない。というのは、桜が入学する風鈴高校(高校としての役割を果たしているかは甚だ疑わしい)は超不良校といういわれのくせに「治安の悪い街を守る」という使命に燃える者たちが集っている場所だったのである。
ならず者集団との抗争を前に、風鈴高校のトップは桜にそう告げる。そして桜はこの言葉を実際の喧嘩を通じて理解し、人間的な成長を遂げていく。
さて、ここが最も重要な点だ。『東京リベンジャーズ』におけるタケミっちは、自分の弱さに打ちのめされながらそれでも信念を貫くという主人公像を持つ。一方で『WIND BREAKER』における桜は、圧倒的な強さを持っていながら周囲に影響されて自身の信念や価値観を変えていく主人公として描かれる。
私にはこの明らかな方向性の違いが今後の若者向け喧嘩アニメの潮流がどちらに振れていくかのリトマス紙になるのではないかと思っている。そして私としては(決して『東京リベンジャーズ』を貶めたいわけではないのだが)、メインストリームとしての地位を是非とも『WIND BREAKER』の方に確立してほしいと思うわけだ。
もちろん、蓼食う虫も好き好きというから、皆様は私とは反対の意見を持つかもしれないし、私はそれを否定する気はない。
しかしアニメ時代の百花斉放、これら二作の対象性をよく吟味することはきっとこれから生まれるであろうまだ見ぬ作品を占うのに興味深い視座を与えてくれること請け合いだ。
だから是非、あなたがどんなタイプの喧嘩アニメがより好きなのかを『WIND BREAKER』を観ることを通して考えてみていただきたい。
ベストサイド③:夜のクラゲは泳げない
もはや押しも押されもせぬ前季の話題作『夜のクラゲは泳げない』は、四者四様のコンプレックスを抱えた女子高生たちがJELEEという創作グループを組んでその作品を世に発信していくというストーリーだ。
海月ヨルというペンネームをもつイラストレーター・光月まひるは、とある出来事をきっかけに自分の絵への自信を失い、筆をとれない日々を過ごしていた。しかしそこへ彼女の描く絵が好きだという元アイドル・山ノ内花音が現れ、一緒に作品を作らないかと誘われる。
今回私はJELEEの物語を始めたこの二人に特に焦点を当て、本作がいかに現代人の悩みを反映しているかを明らかなものとしていきたい。
ときに、私にはどうにも理解できないのだが、現代人はとかくSNSというやつが好きで好きで仕方ないらしい。各人の好きなもの、面白いと思うもの、考えていること――それらは瞬時に共有され、あらゆる方面でトレンドを形成する。
しかしSNSは時として個人の人生を左右してしまいかねない魔力を持っている。そして本作におけるまひると花音は、それぞれが違った形でSNSの魔力に呑み込まれる存在として描かれる。
四人で創作活動をしていくうちに次第に絵を描くことの喜びを取り戻していくまひる。しかしJELEEの知名度が上がった結果、ファンアートがSNS上にアップされるようになり、彼女はそこに有名絵師のイラストがあるのを見つけて心を乱す。
醜くどす黒い嫉妬心。声優の演技が光る。
実際、才ある人が目立つSNSでは本来比較しなくていい相手と自身を比べてしまいがちだ。社会全体で幸福度が下がっている原因の一つにこれがあるという指摘もあながち間違いではないだろう。
まして表現活動においてはその比較を他者が強要する。「絵は初心者」「腕が変」「髪の塗りが変」、しまいには「〇〇さんの方が上手い」。作中ではそういったコメントの数々がまひるを追いつめていた。
一方で花音は、もっとわかりやすいSNSの牙にかかっている。つまり炎上だ。私が彼女を元アイドルとして紹介したのはこのためである。
ただし、花音が炎上から受けた直接的な影響はさほど大きくはない。それは彼女自身が持つもっと根本的な問題を表面化させるきっかけとなったに過ぎないからだ。
だが、彼女自身はそのことに気づいていない。そしてSNSの魔力はそんな彼女を再び捕らえる。
この目標の恐ろしいところは、それがどこぞのYotuberの立ち上げた「大学」を僭称するスクールの「1年後の目標」と全く同じ内容であることにある。
もちろん、本作の第1話においてこの言葉は輝かしい目標として声音高く発せられている。しかし話が進むにつれ、この目標がいかなる性質を孕んだものなのかが次第にはっきりとしてくるのだ。
このように、本作におけるまひると花音はとりわけSNSによって振り回される存在としての特徴を見せているわけである。
一方、JELEEのメンバーの中には現実と自身のギャップに絶望してネットの世界に逃げ込んだ人間もいる。また、アイドル時代の花音の大ファンがメンバーの一員としてJELEEに参加している設定は非常にユニークで面白い。
この二人についてはここでは詳しく語らないが、しかしそれぞれの持つ複雑な感情はしばしば物語を大きく駆動する原動力となり、この作品の魅力を大いに引き出してくれている。
総じて、『夜のクラゲは泳げない』は現代社会に生きる人々にとって我がことのように感じられる問題をふんだんに織り交ぜながら、それでも好きなことに打ち込む4人の姿を描き出す作品として精彩を放っている。
しかし本作の最も優れた点は、これだけ重たいストーリーを展開しておきながら、視聴者が暗澹とした気持ちにならないでいられる絵作りの妙にこそある。
もっとも、これについてはつらつらと長文を綴るより百聞は一見に如かずだと思うので、是非皆様の目でご確認いただきたい。
自力では泳げないクラゲたちがいったいどうやって輝きを放つに至るのか――本作を観ればきっとその答えを四人の中に見出すことができるだろう。
ベストサイド④:ガールズバンドクライ
こちらも前季中随分と話題になっていたので知っている人は多いだろうが、私がベストサイドの4作目に挙げるのは、現代におけるクリエイターの生きづらさを生々しく描き出した『ガールズバンドクライ』だ。
本作はいろんな意味で挑戦的な作品なので語れることは多い。たとえば3コマ打ではない3Dのセルルックアニメであるとか、声優をアーティストにするのではなく、アーティストを声優にするという今までにないアプローチだとかがそれだ。
ただ、ここらへんのことは調べればいくらでも他で書いているのが見つかるだろうし、それを書いても結局は〝解説〟に成り下がって、魅力を伝えることにはあまり寄与しないだろうと思われるのでここでは割愛させていただく。
では私はここで何を語るのかという話になるが、私は先に紹介した『夜のクラゲは泳げない』との比較の中でこの『ガールズバンドクライ』という作品を語っていきたい。
実はこの二作品はかなり似た性質を有している。
例えば本作の第1話。河原木桃花は一度音楽への夢に破れて地元に帰る決心を固めていた。しかしそこへ彼女の歌が大好きだという井芹仁菜が現れる。そして二人は紆余曲折の後にバンドを組むことになり、物語は動き出していく――。
この記事を真面目に読んでくれている皆様ならもうお気づきなのではないだろうか? そう、これは『夜のクラゲは泳げない』の始まりとそっくりなのである。
ガール・ミーツ・ガールという見た目上の形式だけではなく、好きなことを諦めかけていた人間の前にその人の作る作品が好きだと伝える人間が現れることによる再起の構図。私は前季アニメが始まった4月の上旬、この類似性に震え、それぞれの作品がどう物語に決着をつけていくのか見届けばならぬと自身に命じたのだった。
さて、私は先に桃花のことを「夢に破れて」と説明した。実は彼女は作中世界における人気バンドの元メンバーであり、夢の実現まであと一歩というところまで至っていた人物だったのである。一方で、『夜のクラゲは泳げない』の花音も、元アイドルであったことは既に述べた通りだ。こちらも、もともと所属していたアイドルグループの人気は高いという設定になっている。
それぞれの物語の中で桃花と花音は元々所属していたグループを強く意識する人間として描かれる。そしてその二人ともがそのために苦しみ、自分が本当にやりたいことを見失う。
さらに両作品はそのクライマックスにおいて、元々所属していたグループのメンバーが主人公を焚きつける役割を担うという点も共通している。描かれ方に多少のニュアンスの違いこそあるものの、どちらも因縁のある相手に発破をかけられる構図は同じなのだ。
はたして同じクールに放送された作品同士がここまで似るものなのか――この驚きは本当に筆舌に尽くしがたい。しかもこの二作品の物語の相似はまだまだ挙げればキリがないのだ。
だがここから先はネタバレを回避しきれなくなってくるので、これ以上二作品の類似性について語るのはやめておこうと思う。しかし、これだけで終わってしまうと『ガールズバンドクライ』独自の良さを伝え損ねてしまうので、次からはそこを補強していく段に入ろう。
私は本作の紹介の冒頭で〝生々しい〟という表現を用いた。つまり本作は夢を追うストーリーの中に家賃や生活費、ライブのチケットノルマ、事務所の出費など金銭的な問題を容赦なく突きつけるのである。また、それぞれのバンドメンバーが持つ過去や、家庭事情などは見ていて痛々しいと感じられることが多い。3Dアニメであることはこれらの〝生々しさ〟に拍車をかける。
しかし本作の中でも最も生々しく、痛々しく、そしてクリエイターにとって辛い共感を呼び起こすのは何といっても第12話の最後だろう。私たちは間違っていない、いいものを作れば皆が見てくれる――そう信じて進む主人公たちの前に立ちはだかる途方もない現実の残酷さ。『ガールズバンドクライ』が『夜のクラゲは泳げない』と違うのは、まさにこの点にあると言っていいだろう。
ときに、昨年は巷で鬱アニメと言われたほどの(私はそうは思わないが)バンドアニメ『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』が話題となった。そして面白いことに、そこに登場するバンド「MyGO!!!!」と『ガールズバンドクライ』のバンド「トゲナシトゲアリ」との対バンイベントの開催が既に発表されている。
これらの動きから察するに、キラキラしているだけではないバンドアニメが最近流行しているのはもはや疑いようのない事実だろう。だからこそ、そんな潮流の一端を『ガールズバンドクライ』を通して味わってみてはいかがだろうかと私は提案するわけだ。
ベストサイド⑤:響け!ユーフォニアム 3
現在進行形でアニメ好きを自称する人たちの中で、この作品を前季観なかった人はいないのではないだろうか。
私がベストサイドのトリに選んだのはアニメ業界の大御所、京都アニメーション(以降、京アニ)が手掛ける、前季私が最も感動したアニメ『響け!ユーフォニアム3』である。
京アニの作品についてはもはや絵のつくり込みに関する言及をすること自体が野暮だと言えよう。各キャラの微妙な表情、背景の美しさ、金管楽器の光沢感――どこに目を向けても常に見るものの心を惹きつけるものがある。
もっとも、本作は『響け!ユーフォニアム』シリーズの最終章なので、まだ前作を観たことがないという方はとりあえず一旦この部分を読み飛ばしていただきたい。そしてこんな駄文を読んでいる時間をすぐにでも『響け!ユーフォニアム』シリーズの視聴に当てて欲しい。御託を並べることなくただ「観ろ」と言おう。後悔はさせない。
――さて。
かなり乱暴に一見さんを追い払ったところで話を先に進めるとしよう。つまり、本作の紹介だけは多少のネタバレを伴うのである。
TVプロデューサーの佐久間氏をしてこう言わしめるのは、本作にはもはや話題になりすぎて言うまでもない決定的な事象――つまり侃々諤々の大議論を巻き起こした〝原作改変〟があったからに他ならない。
そこでまずは、この〝原作改変〟について石原監督のインタビューを見ていこう。
この監督の言葉を目の当たりにした時の私の戦慄を、皆様は想像できるだろうか?
ことにクリエイターの方々にはよくご理解いただけると思うのだが、各人の持つ〝創作の方針〟というものはそう簡単には変えられるものではない。しかし本作におけるアニメオリジナルのあのストーリーには、原作準拠型の監督に〝原作改変〟を納得させるほどの力があったということが、このインタビューでは語られているのである。
石原監督は他のインタビューで「真由の救済」という言葉も口にしている。
私の所感では本作は誰かを〝敵〟に見立てるミスリードが多いなと感じていた。真由はまさにその代表例であるし、滝先生もそのような描かれ方をしたはずだ。
これを象徴するエピソードとして、私は〈TOROアニメーション総研〉というラジオ番組でとあるパーソナリティが真由について「あの女、~って言いやがるんですよ!」と声を荒らげていたことを取り上げずにはいられない。つまり、視聴者の中には明らかに真由のことを敵視する人たちがいたのである。
しかし〝敵〟を打ち負かすという構図が本当に『響け!ユーフォニアム』という作品において描くべきものなのか――おそらく制作陣はそのように考えたたのだろう。そして最終的には『響け!ユーフォニアム3』において特に重要な役割を持つ真由を、久美子中心の世界にしないことによって〝敵〟ではない存在として救い出したのである。
この裁量が果たして京アニ以外の制作スタジオに出来ただろうか?
基本的にアニメだけでは採算がとれないアニメ業界は、ファンビジネスの展開のためにファンの獲得に躍起になっている。ファンを裏切るというのはあってはならない不文律なのだ。そしてファン心理は主人公とそれに近しい者たちの活躍を期待する。だから現代の作品の多くは最大限この心理に媚びている。
しかし京アニはその風潮に果敢にも反旗を翻した。佐久間氏が「覚悟」と表現したのはまさにそのことを指していたのではないか。
そしてこのような姿勢を目の当たりにするとき、私の脳裏にはジョン・アーヴィングがその著書に記した格言が浮かぶのである。
作品が外の世界(つまり視聴者)を意識していては、そこで起こる事象は「最も完全なもの」にはなり得ない。そしてこの思想はやはり、本作の制作陣の中にも存在していた。
作品はそれを観る者のためにあるのではない。その作品の中に生きる者たちのためにあるのである。そんな京アニからの強いメッセージを、私は本作から感じずにはいられなかった。
それから私は全く別の視点から、京アニの〝先見の明〟というものをここに論じておきたい。
再び引き合いに出して恐縮なのだが、『夜のクラゲは泳げない』は渋谷を舞台にした作品で、絵もさることながら「量産系」という言葉を用いたりするなどして実際の渋谷に近い雰囲気を醸し出す努力をしていた。
しかしその一方で、「何者にもなれない」という葛藤が描かれる点においては『夜のクラゲは泳げない』は若干現実の渋谷――というより、現実の若者の心理を捉え損ねている可能性があることを私はここで指摘したい。
これは小説家のカツセマサヒコ氏が「今の若い人、もうこうじゃないかもしれないですよ」と編集者に指摘されたことをきっかけに、ラジオ番組に若者のトレンドや消費マインドを調査するSHIBUYA109 labの所長・長田麻衣氏を招いたときの発言である。
実際、若手の育成が課題であるアニメ業界において、制作の中枢にいる人間がカツセ氏の様に徐々に時代の潮流を掴み損ねている可能性は否めないだろう。
では翻って『響け!ユーフォニアム3』はどうか。これは主人公の久美子を演じた黒沢ともよ氏のインタビューが明快な答えを示してくれている。
麗奈や明日香先輩に当てられて特別になることを意識していた久美子が、本作の中では〝世界における特別〟ではなく〝麗奈にとっての特別〟であればいいという考え方に徐々にシフトしていく。
一方で、先に取り上げたラジオ番組の中で長田氏は現代の若者について「承認されたい半径が小さい」と述べており、マスに出ることへの興味が減ってきているという指摘についても同意を示していた。
つまり、久美子の変化と現代の若者の思潮の変化は見事にシンクロしているのである。
もちろん麗奈のように、承認欲求の強い人はどの時代にも一定数は存在するのだろう。しかし「仕事をしながら趣味で創作活動をしています」という人が増えていることからも、「何物かになりたい」「特別になりたい」という欲求が徐々に減衰してきている可能性は大いにあるのではないだろうか。
そんな中で『響け!ユーフォニアム3』が原作とは大きく毛色を変えて世に出たことは重大な意味があるように私には思える。
京アニは未来のアニメに向かって種を蒔いた――私はそう考えている。
そして今後この京アニの意志を継いだ作品が現れた時、まさにその時こそ私は声高らかにこう言うことだろう。
今季のアニメは豊作だった――と。
ワーストサイドに入る前に
さて、前季アニメの中で私が取り上げたい良作はだいたい出し終えた。ここから先は、最後まで観るもその内容の改善が見られず、私の貴重な時間を奪い去った作品を容赦なく叩きのめす段に入っていく。
しかしその前に、私はここで皆様に以下の利用規約を一読してもらわなければならない。
①ワーストサイドではネタバレに配慮しません。
②毒舌になりますので、耐性の無い方はお控えください。
③世間一般の評価とは食い違うこともあります。(※割とその傾向は強いです)
④ただしそれらは作品への事実に基づく批評であり、各個人の「好き」を否定・攻撃するものではありません。
⑤事実誤認への指摘は謹んでお受けし、修正いたしますが、解釈の違いの範疇にあるものはその限りではございません。
⑥有料部分について、その内容を無断でSNS等に拡散するようなことはお控えください。(※無料部分はお好きにどうぞ)
これに同意できるという方のみこの先に足を踏み入れていただきたい。そして世間の評価が本当に妥当なものなのかどうかを検討する材料として、これを役立てていただきたいと思う次第だ。
それでは毒舌を好む性格の悪い読者の方々に、以下の文章を謹んで進呈しよう。
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