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東浩紀氏の『観光客の哲学の余白に(26)訂正可能性と反証可能性』への簡潔なコメント

 
上記記事の文言「閉鎖の基準を個々の局面において柔軟に「訂正」していくような実践の可能性のことである」の「実践的」がポイントである。つまり閉鎖の「基準」に関する議論の無限背進(開放と閉鎖の二項対立の帰結)を認めず実践的に適宜打ち止めにする実践の現実だ。  

この適宜打ち止めにする実践の現実は《我々人間》の現実そのものだが一見それと異なるカント的定言命法(この場合は「異邦人を受け入れよ」)と表裏一体である。カントに着想を得たデリダの《歓待の哲学》につながる。つまりその都度柔軟に訂正していくというよりむしろその都度柔軟性=可塑性つまり訂正可能性を消去していく過程だ。換言すれば、常に閉鎖の基準を訂正可能性に開いているという開放性はその都度の開放性の打ち止め=消去という現実に裏打ちされていなければならない(さもなければ閉鎖か開放かという二項対立の無限背進に陥る)。


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