電車内で”譲る”行為の本質 +
お年寄りには座席を譲りましょう!は大事なこと。でも、
△「席を空けるから座ってください!」
ではなく、
○「こちらにお座りになりますか?」
という気持ちで声を掛けてみましょうか。
相手が望んでいないこともあります。その際「譲ったのに断りやがって」「なんで座らないんだ?せっかく…」なんて感情はいけませんね🙅それぞれ事情は異なるのです。
座りたいわけでもないお年寄りのために席を空けたものの断られ、だからといって別の誰かが代わりに腰掛けられるはずはなく、
✖ 結局空席を放置することになり、
その分、車内が混雑する… 最悪な結末です😫
一方的に良かれと思って取った行動が、相手に喜ばれるとは限りません。「席を空けること」が大切なのではなく、「座りたいのに立っているお年寄り等がもしそこに居れば譲る」ことが大切なのだ、と思います。
誰のためか、という本質を見失わないようにしたいですね。
運行会社側🚃が『専用席』としているのなら従わなければなりませんが、あくまで『優先席』止まりです。なので、「対象者以外はここには座るべきではない」と粋がるのは要件に沿っていないですし、仮に”自分のポリシー”を他者に強要しなくとも、空いた優先席の前に立ち塞がった状態になるような振る舞いも、決して誇れることではありません🙅
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《譲ってもらいたいと思わない人の内心》
現代は「譲らない。譲れない」人ばかりだと非難される話や記事を時々見掛けますが、悲しいかなそれは実態に近い、との感覚を持つ人が多いかと思います
~よろしければ👇の記事をご参照ください。
その稿末に挙げた事例。浅い思考で「それ、妙案!」とか”神対応”などと言ってしまってませんか?
座席が足りず、近くにお年寄りが立っている時に席を譲るのは望ましい行為、であるのは共通の評価であると言えますが、実際には様々なケースが考えられます。
例えば、席を譲ろうと「どうぞお座りください」と立ったものの、「次で降りるから…」等の理由でそのお年寄りが断ることがあります。このような場面を目の当たりにした人の多くは「遠慮しているのだな」と解釈するでしょう。
でも、それだけではないことが実際にはあります。
まず、そのお年寄りが意外に強靭で、「老化防止のために、立つことを習慣にしているのだ」ということも現代ではあり得ます。
「親切に声掛けてくれたんだから、その時くらいは座れよ」と思う若者がいるかもしれませんが、お年寄りご本人にも都合や意思があります。それを蔑ろにはすべきではありません。 ⇒今回の記事の主旨
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《譲ってもらいたくない人の内心》
その他、本当に”座りたくない”場合です。いったいどういうことでしょうか。
例えば、一旦座ると立ち上がるのがつらい、といったケースです。
座った状態が楽であることは確かです。でも、わずか数分のために、その後の”立ち上がりの苦悩”を受けたくない、といった気持ちです。なるほど確かに、「どっこいしょ」としんどそうな声を上げながら身体を起こすお年寄りを見掛けたことがありますよね。
--- その他、『お寺さんが病になっちゃって?座ると痛い人🍑』とかも🙄
あと、『この座席を必要としている人』の例:乳幼児を抱っこしている人 を車内で見かけることがありますが、この場合にも、親は座席に着かず敢えて立っている場合があります。
立って抱っこしている間はおとなしいのに、そのまま親が座るとダダをこねる赤ちゃん ―― 。皆さんの中にも「うちもそうだ(った)からわかる!」という人もいるのではないでしょうか。
”スリング(赤ちゃんを抱っこするための一枚布の装着具)”などの補助具が普及している様子ですが、それを初めて見た人が想像するよりずっと、赤ちゃんにとって快適でママにとって楽チンである、ということと同様に、「よく知らない人にとっては、にわかには信じ難い話」かもしれませんね。
+++ 毎度くどいようですが、マナー向上を訴求する記事ではありません。あくまで本質思考の推奨です🙇
明日再掲する記事では、具体的アイデア例と言うには遠い、”しっくりこない”施しの例について、効用の本質について考えてみます💡
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