トイレの行列で譲るというやさしさ
昔からしばしば取り沙汰されがちな《行列問題》。
個人の〔情〕か全体のバランスか、という懸案。
表題からイメージできますよね?
(特に)自身がその行列の一部である場合において。新たに来たもしくは他の「列中の一員」が”困っている”… という事例に遭遇。
◆貴方なら、どうしますか?
◆自分以外の人が何らかの”譲り”行動を起こした場合に、それに対してどのような感想(や不満)を抱きますか?
いずれにおいても、その対象者と自分との相互位置状態によって、多数「場合分け」されるのではないかと思います。つまり、事例の細部要件によって〔答え〕〔見解〕〔心象〕が変化するでしょう。微妙なニュアンスの違いも挙げだしたらキリがありません。
「意見の主張」寄りの議論をしても、一向に”着地”しないでしょうね。そもそも、「適切だと言える答え」など存在しない、という一例でしょう。
ともすれば、いかに《本質思考》を意識できるか。
貴方にとっては、どのような要点を軸に捉えますか?
<事例>
公共のトイレに長い行列ができていた。しばらく並んで、自分が列の先頭に来たところ、後から子供が焦りながら並んできた。
そんなとき、あなたなら順番を譲りますか?それとも、順番は順番なのでそのまま見ないふりをしますか?
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人道的な観点”のみ”で端的に答えるとすれば「譲る」。
とは言え・・・🤔
自分の後ろの行列の中にも、深刻に困った人がいるかもしれない。そこにまで配慮が及んだ上での対応なのか。何の条件や前提を考慮せずに極端な〔肯定〕を示すのは「表面だけ評価」の典型例。
困窮度の序列など到底計り知れない。
【本当のやさしさとは、独りよがりにならず、副作用について考えるべき】 --- そんな提起稿は、これまでもいくつかupしてきました。例えば、自動車運転の例で、(決してマナー向上の論点ではない本質思考軸の)以下リンクの記事👇など。毎度「実感が湧きにくい」という反応が何かと目立ちますが💧
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