goki哲学23 ~カントの啓蒙思想、デリダの差異の哲学、マルクス主義~
図書館の新聞コーナーを見るとほとんどすべての政党が自政党の機関紙を発行していることに気がつく。赤旗や聖教新聞のみならず。自民、立民、維新、れいわ、国民、社民、N国。もはや紙媒体でも民衆は自分たちに都合のいい情報しか身につけない時代なのだ。見たいものだけ見て信じたいものだけ信じて。
これは全世界的な問題である。日本はまだ公教育がかろうじて機能しているから情報の非対称はそこまで極端ではないが、アメリカなどでは子供を学校に通わせず親が都合のいい教育を施す(洗脳ともいう)家庭が半数近くにものぼるという。わたしの周囲でも保守的な人間は嬉々として陰謀論を事実のように語る。
これは20世紀の第二次世界大戦の思想的源流となった全体主義とは一見正反対の哲学。多様性、包摂性といったデリダの脱構築、差異の哲学に原点を持つ21世紀の思想は、20世紀のカント的な大きな物語哲学とは一見真逆のベクトルに映る。第三次世界大戦の動機となる思想は「差異」であろうと予言しておく。
東浩紀さん千葉雅也さんという日本を代表する哲学者がこぞってデリダにこだわるのは偶然ではないと睨んでいる。第一次世界大戦第二次世界大戦の思想的源流がカントの「啓蒙思想」であったならば第三次世界大戦の思想的源流はデリダの「差異の哲学」になるはずだという予言である(´・ω・`)。
カントの啓蒙思想もデリダの差異の哲学も本来は「善」の心を持つことが大前提であったはず。それがいつの間にか思想的原理だけ抜き取られ「悪」の心を持った思想家に悪用されるというパターン。少々大雑把かもしれませんが。goki哲学のひとつの集大成としてここにまとめておきたい(´・ω・`)
では「差異の哲学」が悪用される分断と対立の時代に終止符を打つ妙手はあるのだろうか。なぜ民衆の情報思想に差異が生まれるのかというとSNSを含め情報が大量に溢れすぎて過多になっているのだ。ほとんどの個人は情報を咀嚼しきれていないし何が正しくて何が本当なのか分かりづらくなっている。
情報の「整理」が必要である。それは各専門分野の情報を専門知が引用、整理、保存した上で全体を浅く広く理解する総合知が全体像を把握する。情報過多な時代であるからこそ専門知総合知が役割分担して「すべて」を見極めるべきだ。これを積極財政によって行政が研究費用を負担する必要もある(´・ω・`)
情報の共有はSNS、人工知能、クラウド、ビッグデータなどの情報技術の発達により可能となりつつある。実質的に複数人、複数世代の研究者が情報を共有できる時代がくるのだ。その完成形ともいえる情報技術が伊東乾のテレパシーの研究でもある(´・ω・`)
最近わたしはカントとデリダの哲学を引用することが多いが、やはり現代哲学の巨人はマルクスでありマルクス主義の理解はどんな階層の人間にも必須である。そもそもマルクス主義とはどのような哲学なのか。簡単にまとめてみたい(´・ω・`)
19世紀のヨーロッパで産業革命以降、労働者階級の労働力を搾取することにより資本の蓄積を図る資本家階級が生まれた。マルクスの哲学はひと言でいうと唯物史観。資本家がどれだけよくできたウソを並べても、唯物論、つまり言ってることとやってることの違いに着目すればウソは見抜けるというもの。
資本家は所詮資本家の利益のためにしか行動しない。意見が立場を規定するのではなく立場が意見を規定するのである。唯物論≒リアリズム≒プラグマティズム。ウサギ小屋に住みボロを着て貧相な食事を摂る無産階級が自分たちは幸せな暮らしを送っているという。イデア≒観念論≒唯心論である。
これは21世紀にもある程度通じる哲学である。19世紀の無産階級は労働をしていた。現代の無産階級は労働をしない者、障害者であったりニート、生活保護受給者など。いわゆる弱者であるが。21世紀においてはこの新たな無産階級から搾取するために消費税などの逆進性の強い税制を当てはめるようになった。
富貴な者の優位性というのはあくまで相対的なもの。であるならば有産階級、支配者階級は搾取によって常に大量の弱者を作り出し自分たちの優位性を確保する必要がある。現代ではさらに特権身分はメディアを牛耳ることにより、搾取によって担保されている自分たちの優位性は正当なものであり、無産階級は愚かで無能であるから富貴になれない自業自得であるというような喧伝を行なう。
支配者階級がそう考えるならば武力革命によって彼らを打倒し経済的には万人が平等な共産社会を実現すべきだというのがマルクスの概ねの主張(´・ω・`)。
現代においては公教育でマルクス主義を教えることを支配者階級が制限している。その結果、「貧乏人のパラドックス」とでもいうか、無産階級の人間が共産主義社会は間違っている資本主義最高と唱える。ひと言。無産階級は資本主義社会で生活が苦しいのではないですか?と論破できる(´・ω・`)
無産階級こそ連帯して支配者階級を打倒しなければいけない。世界の富の5割は1%の支配者階級が握っていて残りの5割を99%の無産階級が分け合っているのが現実。ピケティはr>g、資本収益率は必ず経済成長を上回ることを発見した。自分だけは特別自分だけは例外で無産階級が競争を続けてもますます貧乏になるだけであろう。
ことほど左様にマルクスの理屈というのはよくできているのである。ただ哲学者の中嶋哲史先生はいずれ資本主義は限界を迎えるがそのとき新しい時代のイデオロギーが必ずしもマルクス主義とは限らないとも予見した(´・ω・`)。
わたしも同意見といいますか。マルクス主義の限界も感じている。マルクスの理論は本音がむき出しになる社会。人間を一切信じない、テロや労働運動など武力による資本家階級の打倒、血で血を洗う社会を生み出した。これでは心ある資本家たちだって自分たちのいのちを守るために必死に無産階級と対決するしかない。
本来マルクスも有産階級の出身であり資本家はすべて悪人で彼らのいうことは一切信じられないというのは少々極端な議論なのだ。わたしなら闘争する前に彼らの良心を信じるしまず話し合いで物事を解決しようとする。マルクスは「唯物論」という哲学を持ち出したがわたしなら「信じる」という哲学を捨てることはない。
21世紀を生きる若き資本家たちに忠言したいのは孟子を読みなさいということ。徳を積み善行を施す。弱者に優しくなれれば自ずと自分たちにも優しさはかえってくる。労使関係に限らず人間関係というのは多くの場面で相互の信頼関係で成立しているのですから(´・ω・`)
自分たちが先に唱えていた説だから偉いんだという考え方はバカげています。積極財政もLGBTも。あと乗りで十分です。ぜひ今から仲間になって一緒に考え、さらに自分のオリジナルの哲学を加えてください。すべては日本を世界を明るい未来に導くため。手柄争いをしているわけではありません(´・ω・`)
リスクを負うことと野蛮であることは違う(´・ω・`)
林芙美子文学賞に「LGBTの研究」を応募しました。今度こそ通ってほしい(´・ω・`)
文學界新人賞には「がじゅまん」と「パラノイドアンドロイド ~碩学のファインマン2~」を。高橋源一郎さんの小説でもどうぞには「ランウェイ ~15歳ゆずきちゃん物語~」、「ムハンマド ~スンニとシーア~」をそれぞれ投稿しました。いい加減結果が出てほしい(´・ω・`)
声も顔も不器用なとこも全部嫌いじゃないの(´・ω・`)
イーロン・マスクに「you are extremely right-biased」ってリプしようとしたけどやめました(´・ω・`)
結局多くの人は哲学なんかほとんど勉強してないんですよ。わたしがカントやデリダ、マルクスを読み解いて説明しただけで世の中がこんなに衝撃を受けてるんですから。哲学のための哲学はバカげていますが碩学的な仕事、大きな物語を紡ぎたいのなら哲学は最低限修めなければ(´・ω・`)
わたしは専門家ではないので哲学はもう分かったという感じです。また違う専門分野を文理横断しながら身につけたい。今は月並みですが、政治学、法学、医学、数学、情報学などに興味があります。いずれもポピュラーな王道の専門分野です。ぜひそれなりに身につけて行きたい(´・ω・`)