万年、どこの夢(#シロクマ文芸部)
布団から芽が出ておった。
文字にすればそれだけか、つまらぬの。
締め切りの迫った原稿の筆がどうにも走らず、その程度のことは日常茶飯まゝあることよと、鼻糞をぴんと指ではじき、書き損じを仇の如く丸め、文机の真後ろに四六時中鎮座まします万年床に、小生は腰を支点に背から倒れこまん――としたのが一昨日のことであった。
重力の抗い難き力ゆえ致し方なきこと、と高らかに嘯いてみる算段でおったというに、すきま風の絶えぬ下宿ゆえの哀しさよ、羽織っていた掻巻の厚みに邪魔されるとは、なんたること。無様によろめき、いかにも半端な「く」の字に横臥する仕儀と相なったのであった。
嗚呼、南無三――。
万年床とはみあげたもので。布団の姿はいずくにかと掘ることあたわず、股引やらネルの白シャツやら仙台袴やら褌やらが波をなし、そのうねる波間に陀羅尼助の薬袋や北斎の春画、東京日日の古紙がちらちらと、雑誌『太陽』『世界之日本』『文學界』に『少女界』『家庭の友』がモザイクタイルの如く色を添え、便所の落とし紙に紛れてツケの督促状が散華しておるありさまである。つまるところ、布団の見えぬほど雑多な塵芥が節操なく散乱堆積しておる。
どこで寝るのかとお節介な輩は呆れるが、まあ、それらの重しが良い按配に小生をあたためてくれると思わば、何ほどの不便もあらぬ。他人のことは放っておけとは、世の付き合いの神髄といえよう。
さて、どこまで語ったのであったかな。
おお、そうそう。万年床に横転したのであった。
ふと顔を向けると、何やら若緑が一片みえた。窓を開けた拍子に通りの並木の葉でも紛れ込んだか。なぜ取り除きて捨てぬと小言をぬかす者もおるが、一宿一飯というであろう、舞い込んだも何かの縁と捨て置いて不都合などない。そのまま忘れて高鼾、目覚めたらとうに日は陰っておった。
西日に薄目をあけた先に、ひょろりと細き一尺ばかりの若木があった。世事に執着も頓着もせぬ小生でも、さすがに臥所に植木鉢は持ち込まぬ。肩肘つきて身を起こし、眼鏡を掛け直し古紙や雑誌をのけて検分すれば、どうも布団から生えているようである。舞い込んだは種であったか。
布団から芽が出るとはなあ。
まあ、それも一興と放っておいた。水も土もなくしては、不憫ではあるがそのうちに枯れるであろうと。
ところが、である。
翌朝、目覚めると三尺ほどにまで伸び、枝ぶりもなかなかになっているではないか。枝先には蕾までぽつぽつと付いておる。
「これは、なんとも、まあ。どおりで腹の辺りが苦しかったはずよ」と阿呆のように感嘆しておると、
「広之進様はいずくにおわす」と鈴の如き声がする。
朝早くから誰ぞ来たか、と首を伸ばす間もなく
「お天道様が見えぬとは、ここは屋のうちか」と、すぐ傍らより聞こえる。
慌てて文机を片手で探りて眼鏡をかける。
いやはや、これは魂消た。
あろうことか、若木が喋っておるのだ。しかも清長の美人画の如き鈎目を柳とつりあげて小生を見やる。
諸事一切を流れの如く受け入れる小生ではあっても仰天のあまり尻もちをつき、背を文机の角でしたたかに打った。
「そちは誰ぞ。広之進殿の屋敷の下男か。こは下男部屋か」
下男と呼ばれても致し方なく、万年床ののさばる六畳一間と台所の下宿は下男部屋にも劣るやもしれぬが、なかなか失礼千万な木であるな。
こほん、と一つ咳払いをして威儀を正すと
「某は木村薫と申す。広之進殿は存じ上げぬし、誠に残念ながら、ここは某の下宿であり広之進殿の屋敷でも下男部屋でもござらぬ」
と恐悦至極に挨拶をして進ぜた。
「ややや、なんとしたこと。芽を出す所をまちごうてしもうたか」
あからさまに木がしょげる。
木がしょげるわけなぞ無かろう、法螺吹きもたいがいにせいと云うなかれ、つい今しがたまですくっと天井に向いていた小枝が枝垂れたのである。
「広之進殿とは、いかなる御仁か」と問えば、
「百石取りの御旗本鯖江家のご嫡男であらせられる」と、ぽっと枝先を染めていう。
聞くところによると、小生の布団より芽を出した梅の若木は、鯖江家の庭に植わる老梅に実った種であるという。
「広之進殿は、誠に良い男ぶりでな。皆は桜を愛でるが、わしは梅が好きじゃ、我が庭の梅のなんとも天晴なことよ、と妾らを慈しんでくださった」
もっと広之進を喜ばせたいと、実が熟し種となったのち、屋敷の縁側に落下したつもりであったという。風の道を読み誤ったのじゃな、と萎れる。
「で、その、広之進殿の屋敷は、どのあたりに」
「屋敷の近くには大きな寺がござった。広大な境内をすっぽりと覆うほどに桜が咲き誇り、花見に連日大勢が押し寄せておってな。それはもう、悔しきほどじゃったが、広之進殿は桜よりも妾たちの方が美しいと仰ってくださったのじゃ」
「近くに池はなかったか」
「ございました」
お江戸の桜の名所の寺といえば、おそらくは上野の寛永寺であろう。
「ご維新は知っておるか」
「ゴイッシン? 碁石のことでありましょうか」
寛永寺は彰義隊の戦で堂宇や伽藍は粗方焼け落ち、かつての境内のほとんどは今では公園になっておる。戦いは苛烈を極めたという。広之進が幕末の旗本であったのか、もちっと昔の侍であったのかはわからぬが、いずれにしても梅のいう旗本鯖江家は上野に残ってはおらぬであろうことは想像に難くない。いかがしたものか。
「後生でございます。どうか鯖江の庭に戻していただけませぬか。広之進殿にお会いしとうござりまする」
妾は歩けませぬ故、お頼み申しまする、と頭ならぬ枝を下げる。
正直、まいった。
恩賜公園にこそっと植えに行くべきか。広之進は生きてはおらぬであろう。子孫が上野に住もうておるかも定かでない。
いや、だが、しかし。
小説を綴るよりも難題ではないかと頭を掻きむしる。
「正直に申す。まず、今の世に旗本も侍もおらぬ」
明治のご維新で江戸に吹き荒れた嵐とその後について語った。広之進はすでにおらぬであろうことも、鯖江の家も上野にはなかろうことも、包み隠すことなく告げた。梅はその間、ひと言も発することなく、切れ長の目を据え、傾聴とは斯くあるべしと手本さながらの真剣さで耳を傾けていた。
「そんなわけであるからして、鯖江家の庭とは比べるのもおこがましい猫の額ほどの庭なら、某の下宿にもある。そこに植えてやろう」
いいえ、と梅は枝を振る。
「妾は目覚める時すらも間違えました。それでも、鯖江の庭に連れていってくださりませぬか」
「家も庭もなくなっていてもか」
「はい」
あまりにきっぱりと梅が云う。その気魄に押され、普段は梃でも上がらぬ重き腰がすんなりとあがった。まずは万年床の上にうず高く積みあがったあれやこれやを押しのけ、掻き分けるとようやく布団が姿を現した。久方ぶりに陽の目をみた布団は、盛大なる紙魚で茶色く湿っておった。饐えた匂いがする。斯様な布団から芽を出すとは、万年床にしておる小生が語るは不遜なれど、なんとも梅が哀れに思えた。
布団を適当に丸め、先日、購ったばかりの自転車の荷台に括り付け不忍池をめざした。池のほとりならば植える所もあろう。道行く人が一様に振り返り指さしておるが、そのような些事にかまってはおれぬ。布団には、万年床のおかげとでもいうのか、適度な水分と養分があると梅は云うが、一刻も早く土に植えてやるに越したことはなかろう。向かい風の冷たさも忘れ、一心に自転車を漕いだ。湯島の坂道にさしかかった所で、荷台から「止まってくだされ」と声がした。
「ここか」と問うと、「はい」と頷く。
辺りはカフェーや荒物店などが軒をつらねている。梅を植える一坪の庭すらない。それでも「降ろしてくだされ」と梅はいう。
紐をほどいて梅と布団を抱えたその時であった。
ざざっと突風が吹いた。
梅を抱く手に渾身の力をこめ、思わず目をつむる。
「降ろしてくだされ」また、梅の声がした。
薄目を開けながら、梅を抱えていた手をゆるめる。
広く明るい庭に立っておった。庭先で諸肌ぬぎで素振りをしていた男が振り返る。
「むめ、待っていたぞ」
「広之進様」
するりと吾が腕を抜け、薄紅の着物姿の娘が駆け寄る背がかすむ。
小生の足元には、布団が一枚落ちていた。
また、ざざっと突風が吹き、庭がかき消えた。
風の残響なのか、あるいは広之進と梅の笑い合うさざめきか。耳管の奥に波の如く打ち寄せては響くざわめきが、ありがとう、ありがとうと繰り返しているかの如くに聞こえ、耳までおかしくなったかと冬空をみあげた。
足元の布団を拾いあげて、おや、と思案する。
梅が吸い取ってくれたからであろうか、万年床でじっとりと湿り果てておった布団からは長年の垢と水分が抜け、ふわりと心地よくふくらんでおるではないか。
で、その後、小生の作家としての芽が出たなんぞということは、まったくもって一切ない。
<了>
今週も、締め切りに間に合わず……でした。
サポートをいただけたら、勇気と元気がわいて、 これほどウレシイことはありません♡