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言葉の力を信じる——ジル・ボム『そらいろ男爵』、鎌田實『雪とパイナップル』、アーシュラ・K・ル・グィン『オメラスから歩み去る人々』【書評】
拝啓
寒暖の差が大きく、薄暑というには朝の冷気が身にしみます。しかし、あなたからの手紙はまさに、心のなかを吹き抜けた薫風でした。
本はただ、そこにあるだけでは無力だ。でも読む人がいて、それを手渡す人がいると、大きな力になる。そんなあなたの言葉を体感したくて早速、鎌田實『雪とパイナップル』を手に取りました。そして日本人看護師ヤヨイさんのふるまい、そして表紙画のパイン缶の意味が分かり、白い雪に包まれたベラルーシの小さな町を想いました。
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「ひとりの子どもの涙は、人類すべての悲しみよりも重い」。この言葉も、ドストエフスキーの本が届けてくれたものを、100年後のベラルーシでも、現在のわたしたちも、日々問い続けているのですね。
さらに、アーシュラ・K・ル・グィン『オメラスから歩み去る人々』も胸を強く衝きました。はたして自分だったら、オメラスの都から外に出ることを選ぶだろうか。この現代の日本においても、自分は穴蔵の子どもを見て見ぬふりをしていないだろうか。オメラスにも、チェルノブイリにも無かったのは「心やましさ」だけだったのだろうか。そんな自問自答がとまりません。
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あなたからの手紙、そして紹介してくださった2冊の本から感じたのは、「言葉の力」です。あなたがこよなく愛する短歌にも、『雪とパイナップル』のような本にも信じて託しているのが「言葉の力」ではないでしょうか。ベラルーシの病院で、ヤヨイさんが真っ先に信じたのはアンドレイ君の言葉でした。そしてオメラスで最も信用がなかったのは、人の心というよりも、人の心をかたちづくり、お互いに交わす「言葉」だったように感じます。
人は自分が死ぬことを確信したとき、何よりも先に求めるのは「言葉」なのだと、夭折の哲学者である池田晶子はいいます。人生とは言葉そのものであり、自分の語る一言一句が、自分の人格を、自分の人生を創っている。言葉は自分そのものなのです。そして、相手の言葉を信じることが、相手自身を信じることになる。そんな「言の葉」を丁寧に集めたものが書物ならば、本には、あなたの言うように、大きな力があります。
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言葉の力、本の力で思い出したのは、大人に向けた絵本でもある『雪とパイナップル』に対して、子どものための絵本でもあるジル・ボム『そらいろ男爵』です。
青空に憧れ、空色の飛行機に乗る本好きな男が、戦争が始まったとき、敵へ空から投下したのは、自分の書棚で最も分厚かった十二巻の百科事典でした。効果的だったのは、やはり分厚いトルストイの『戦争と平和』。戦争末期には、家族からの手紙を投下しました。味方の兵士への手紙は敵の陣地に。敵の兵士への手紙は味方の陣地に。兵士たちは心をうたれ、やがて終戦に。
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言葉も、本も、ただあるだけでは無力かもしれない。けれど、人から人へと手渡されると、途方もない力を持ちます。まずは自分を信じて、自分の言葉を持つ。そして相手を信じて、相手に言葉を託し、相手の言葉を待つ。もしかしたら、その言葉は相手に伝わらないかもしれない。相手に信じてもらえないかもしれない。それでも、起点はいつでも自分です。まず自分を信じる。自分の言葉を信じる。あらゆる表現は自画像です。自分の言葉は、自分を映し出しています。自分が相手に手渡そうとする本にも、選んだ自分が映し出されています。
あなたが今回教えてくださった『雪とパイナップル』、そして『オメラスから歩み去る人々』に、まだお会いしたこともなく、そして顔も分からないあなたを感じ、想っています。
往復書簡というのは、一往復だけのものではありません。言葉を重ね、読み重ねていくことで、伝わり、わかるものもあります。もっともっと、想いのある本を知り、あなたを知りたい。
これからも、本好きなあなたからの手紙を待っています。
敬具
既視の海
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