アゴタ・クリストフ『悪童日記』
読む本は、いつもゆくりなし。
先日来、「いま読書中」「一番の偏愛本かもしれない」という声が多方面から耳に入り、ほう、そんなによい作品ならば、やはり読まなければと何気なくアゴタ・クリストフ『悪童日記』を手に取る。カバー背面のあらすじや、オンライン書店のレビューも一切、目をとおさずに。
『悪童日記』の存在は知っていた。ただ、ヨーロッパの前時代的な男性作家が、悪ガキだった子どもの頃を懐かしむため、大人の視点で子どもはこんなに純粋無垢だよと描き、あの頃に帰りたいねと、読者にノスタルジックな現実逃避をさせる小説とばかり思っていて、敬遠していたのだ。日本でも、そういう作風の直木賞作家がいて、あまりにも子ども時代を理想化していて閉口してしまう。中学入試でもよく出題されていて、当の小学生が読んでも、こんなのありえないと呆れている。
だが、実際の『悪童日記』は、まったく異なる物語だった。読み終えてもなお、心が揺さぶられている。
舞台は明記されていないが、訳注によれば、第2次世界大戦中のハンガリー。作家アゴタ・クリストフの祖国。首都とおぼしき<大きな町>から母親に連れられて双子の兄弟ふたりが国境にちかい<小さな町>に疎開してくる。村では魔女と呼ばれる祖母に預けられた二人は、ナチスドイツと赤軍ソビエトのはざまで、人々の心もドイツ側とソビエト側に分断された田舎の村において、悪事をはたらいたり、非道に走ったりしながらも、日々の暮らしの中で自分たちの信念を貫き、生きのびる。
戦争で学校も止まっているなか、二人は「独学」に励む。その一つ、「作文」では、お互いにテーマを決め、ノートに綴っていく。そこには「作文の内容は真実でなければならない」という単純なルールがある。主観を交えず、見たこと、聞いたこと、実行したことを、ありのままに記す。たとえ親切にしてもらっても、その相手を親切だと記すのではなく、してもらった事実だけを書く。感情を示すことばは漠然としてるので、物事や人間についての事実だけを忠実に描写しようというのだ。よって本書は、二人が日々暮らしていく様子が記されたノートであり、毎日の出来事ではないものの「日記」といえるだろう。
印象的なエピソードには事欠かない。汚れた身なりで町へ繰り出し、乞食として振る舞う。恵みを施してくれる人がいる。かわいそうに、でも何もしてあげられないと、髪をやさしく撫でてくれる婦人もいる。自分のもとで働けば食わしてやると声をかけてくれる人も現れる。すると二人は、乞食をすると、どんな気分になるのか、どのように人々は反応するかを観察するためにやっているのだといって、その申し出を断る。帰路では恵んでもらった食べ物や硬貨なども投げ捨てるが、「髪に受けた愛撫だけは、捨てることができない」。
殺生をする練習、盲人と聾者になる練習、司祭館の女中との関係など、あらゆることが伏線となり、物語は静かに歩を進める。かつて自分を愛してくれた母親、二人を足蹴にしていた父親などとも再会するが、決して幸せな様相はない。戦争中から戦後にかけての人々の心の移ろいも、感情を排した描写で迫ってくる。純粋無垢な子どもの目から描かれた呑気な物語ではない。憎しみと郷愁が入り交じる、追われた祖国とその子ども時代を寂然と描いているのだ。
この、華美な情感や心理描写を排し、簡潔な客観描写に徹する文体に何となく感じるところがあり、調べて初めて分かったのは、著者は女性だったこと。さらに小説は母語のハンガリー語ではなく、フランス語で書かれていたことだ。
母語の外に出た状態、いわゆるエクソフォニーの言葉で書かれた物語に、どこか惹かれる。ジュンパ・ラヒリの『わたしのいるところ』『思い出すこと』がそうだったし、『日の名残り』のカズオ・イシグロや『独り舞』『五つ数えれば三日月が』を書いた李琴峰もエクソフォニーを生きる作家だった。『悪童日記』では、いずれ起こる1956年のハンガリー動乱を匂わすような記述があり、思わずミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』で描かれた「プラハの春」を思い浮かべる。
エクソフォニーの状態で書かれるのは、作品はもちろん、作家自身にも何らかの理由がある。すると、自伝や評伝なども読みたくなる。文は人なり。アゴタ・クリストフという人そのものに興味が深まっていく。
それぞれの名前も出さないまま、「ぼくら」という一人称複数で語り手となっていた双子は、物語の最後、意外な行動に出る。『悪童日記』はこの後、『ふたりの証拠』『第三の嘘』という三部作になっているという。これは読まずにはいられない。ゆくりなく、たたみかけるような読書がつづく。