衝動に身をまかせる——セルバ・アルマダ『吹きさらう風』、車谷長吉『贋世捨人』
拝啓
やはらかに柳あをめる岸辺を歩きたい。そんな季節になりました。水面に映る青をみて、ああ、これが淡水色なのだと感じたい。
待つよりも、待たせるほうがつらい。そう胸に刻んだ4か月でした。欠信にあなたの咎はありません。吹きつける寒風に向かい、呼吸するのも難しかったような日々でした。3月末のタイ行きを済ませ、ようやくおだやかな日々を取り戻しつつあります。
電子メールやLINEが当たり前のことの時代に、原始メールとも冷やかされる手書きの手紙は、書くにも、送るにも、読むのにも、時間がかかります。いま書いているこの手紙を、明日読むあなたは、まだいない。この手紙をあなたが明日読むとき、書いた私はすでにいない。手紙と時間は、切っても切れないのです。だから、秘めておきたかった心の裡をやわらげ、細やかに綴ってくれた、あの日のあなたは、もういないかもしれない。
初読から6年、いまも己の「宿縁」を求めているのだと前便で教えてくれた車谷長吉『贋世捨人』は、あの後にすぐ読みました。吐く息が白かった早朝に読んだ印象と、柳緑に向かう先日の朝に読んだ印象は、やはり異なりました。生島と同じく、いまだ自分も「宿縁」をさがしているのだと、胸をえぐられた冬の日。それが、春の陽射しを感じながら再読した先日、胸を衝いたのは、盟友・土方の娘の話を聞いた生島が、無意識に手にした原稿用紙一千枚の束でした。
あなたの前便が届いたのは、昨年11月24日。その3日後、11月27日に私の生活は大きく変わりました。みずから選んだことです。その後の4か月、着実な計画のもとに己を賭していましたが、その11月27日の決断は、まさに衝動でした。追いつめられたわけではない。ほかの選択肢もある。しかし、みずからの声なき声に衝き動かされる。理由や理屈はない。自転車に飛び乗り、気がつくと原稿用紙の束を抱えていた生島と同じです。
たしかに、この4か月は苦しかった。しかし、それを経たいまの自分は、あの晩秋の自分とは確実に違っています。成長したかどうかは分かりません。でも、まだ見ぬ明日へ一歩踏み出すことができたのは事実です。
『贋世捨人』と同じように、この4か月で繰り返し読んだのが、セルバ・アルマダ作、宇野和美訳『吹きさらう風』でした。
多感な年ごろの娘を連れ、自動車で南米アルゼンチンの辺境を訪れ、布教をしている牧師のピルソン。道中、故障した自動車を持ち込んだ修理工場で出会った修理工ブラウエルとその息子の4人が、ともに過ごした嵐の一夜で、それぞれ生きる痛みに向き合い、そして人生を変えていく物語です。
劇的な出来事は何も起りません。過度な描写も心情表現もありません。でも、4人を衝き動かすものが、しずかに伝わってくる。感じられる。まったく意図することなく、とくに期待もしていなかったのに、こんな物語が読みたかったのだと心から思いました。理屈なんてない。本能かどうかも分からない。しかし、小説でも、現実でも、衝動ってあります。衝き動かされる想いを信じて、身を任せるのです。そのほうが、うまくいくこともあります。
吹きつける風に向かって歩く日々は終わりました。専門書をひらく量は変りませんが、小説や詩を読む時間は取り戻しつつあります。
待たせるよりも、待つ方がつらいという考えもあります。あなたさえよければ、また手紙を交わす日々に戻りたい。次の手紙では、昨秋よりもまた彩りと深みのあるあなたの言葉と想いが込められていると信じています。
敬具
冬青さま
既視の海