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表現と人間性。

菅田将暉さんのライブに行ってきた。
歌手に俳優業とマルチタスクをこなすところが器用で、歌手としても評価されつつ、大物俳優の方からも絶賛されるほどの演技力を持ち合わせているところに最強の才能があるんだろうなぁと思う。
彼自身の世界に入り浸ることも楽しかったが、こういう時にも自分の頭や思考は動き続けていた。

音楽ライブに行くことは、美術館を訪れるのと似ている気がする。
その人の歩き方、話し方、視線の遣り方、その一挙手一投足の中にその人の性格や考え方がちりばめられているような気がしていて、じっくり聞き入ったりノリにノったりするだけではなくて、その人から学べるところを少しでも学び取ろうとするのが好きなのかもしれない。

やっぱり癖なのかもしれない。どこにいても何をしていても、新鮮な何かを体験した時は色々と考えてしまう。常に自分を高められるのはいいことだけれど、ものを素直に受け入れて感情的にどっぷり入り込むことができていない気がした。とはいえ好きな曲たちがいくつも演出される環境を最大限楽しめたので、まぁいいかなぁと。

色々と気づいたこととか考えたこととかがあったから、忘れないうちにつらつらと。

まず、ライブとかフェスというのは、ステージとギャラリーというひとつの境目がある。そんな側面からしたら、ひと回り目立つステージの上に立つ人が主人公であるように思える。みんなその人を注視するから。

しかし、「人と関わる」ということについて色々と考えるようになってから、視点も思考も変わってきた気がする。
アーティストや有名人がステージの上でその突飛なる才能を発揮するのを目の当たりにして、それを受けなにをするかというのは私たちに委ねられている。
よって、受け取った私たちがどう行動するかということまでに持っていくことこそが「表現」である。
そして真の主人公は、人により表出された「心を揺さぶるかもしれないし揺さぶらないかもしれない何か」を受け取る私たちなのである。

彼の「SPIN」というアルバムの中には、いろんな調子の曲が収録されている。
ビートが激しく、頭からつま先まで震えるくらいの音量でエレキギターがかき鳴らされるような曲もあれば、あたたかく優しいゆっくりとした調子の曲もある。アルバムの中で色々聴いたけれど、その中で1番フィーリングが合った曲を投下する。

YouTubeプレミアムじゃないと聴けないらしいけど、私はSpotifyとかで聴いてます。

CDを聴いても、ライブで聴いていても、やっぱりあたたかさが沁みるような曲調が好き。そうすると私が好きなのは、ロックよりバラードかもしれない。
というのも、おそらく自分自身の理想とする人間像に準じているからなのかもしれない。

私は温かい人になりたい。
冬の朝に作るコーンポタージュみたいな、
誰かの行動や感情にそっと温もりを添えられるような、そんな人になりたい。

でもカンボジアには冬がない。
寒い朝のコーンポタージュのありがたみは、カンボジアの方々にはわからない。であろう。
だから誰に対しても伝わるように、情熱溢れたロックのような激しい空気の震えで、同心円状に少しずつ大きく波紋を広げるようにものを伝えるやり方も、できるようにならなきゃなのかもしれないなぁと。

今はまだ、ど田舎の野原でアカペラやってるような状態。これからラジオくらいのスピーカーから始めてスピーカーが大きくなっていって音漏れしていって、気になる人が寄ってきたりして、その人たちがさらに気になりそうな人を連れてきたりもして、場所が変わっていって、最終的には今日と同じように満員の体育館の中で、みんなが主人公だと思えるようなカタチになればいいなぁ。
なんてくだらないことを考えてみたり。

あとは、単純に緊張しないのかなぁって。
私は大学でワークショップひとつやるにしても大緊張。人からの視線をリアルに感じるから、この人たちがこれからどう思うんだろうかと気にする。

でも今回の菅田将暉さん含め、バンドメンバーの皆さんはみんな笑顔だった。
表現することをすごく楽しんでいた。ように見えた。
会場は6万人。響く歓声、続く拍手、眩しいスポットライト。まさに圧巻。ここまでたくさんの人となると1人1人の顔が見えなくなるのかもしれないけれど、彼らが大勢を前にして平然と立っていられるのは、自分たちが作ったものに対する圧倒的な思い入れがあるからなんじゃないかと私は思う。

だから私も
私達が生み出したアイデアたちを
これからも出会う未知数の経験たちを
丹精込めて愛し続ける。

私自身ももっと成長しないと。
これが私が、今回のライブから学んだこと。
これを学びというのか遊びというのか分からないけれど、ひとつひとつなにかしらのきっかけをもとに前に進み続けられる人生にしたい。

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