「ミステリーフレイル」〔コイネージ【新造語の試み】9-2〕
「なぞ理論・なぞルールの振り回し」。
これを「ミステリーフレイル」と呼んでみる
「フレイル」とは、柄とトゲ鉄球が鎖で繋がれた打撃武器のこと。
日本に住んでいると、合理的根拠の不明ななぞ理論・なぞルールを振りかざす者に出くわすことがある。それも、そこそこの確率で。
彼ら彼女らは、まるで「フレイル」を振り回すように、自分独自の理論やルールを他に強いる。
例えば、中学・高校のいわゆるブラック校則や体育教師の俺様ルール。
下着の色指定や地毛が茶髪の生徒への黒染め強制など、ブラック校則は理由や教育的効果を明確にせぬまま、ただ生徒に従うことを強要す
る。
(理由があるとすれば、「先生の生徒への支配欲」や「学校のブランディング」といったところか。いずれも"卒業後の子供の人生"にとってはどうでもいいことだが)。
僕の学生時代の体育教師は、「連帯責任」がお好きだったようで、"学年全員"にそれを課していた。
一人がふざけたことをすれば、「連帯責任だ!」とわめいて、"全員"に対して叱責をした。
…これが部活やらチームやらなら100歩譲って理解できる。例えば、一人の部員の喫煙が発覚すれば、チーム全体の公式試合出場停止、事実上の連帯責任ということになるだろう。
しかし、"学年全員"だ。
「なんで、あいつらと連帯せにゃならんかったんだ?」と、大人になった今でもなぞだ。無論、自分の人生にとって価値のマインドだという判断は、今もない。
他に例をあげると、最近某区役所に「職員がソフトクリームを食べている」という"クレーム"が入った事案がそうだ。
この職員がソフトクリームを食べたのは、休憩時間中だ。ルール上まったく問題無いはず。
このクレームを入れた者は「ソフトクリーム食べる=サボり→四六時中仕事しろ!」という奇妙な考えをお持ちのようだが…まぁ無視できるだろう。
この「ミステリーフレイル」と呼ぶ、なぞ理論・なぞルールの特徴は3つ。
①振りがざす者の好みや思いつき主体であるため、充分な考察を経ておらず、ロジックとしての客観性、汎用性、合理性に乏しい。
取ってつけたような理由を一つつけるのがせいぜいで、2回以上の「なんで?」に耐えられない。
②「フレイル」の威力と射程が、ロジックとしての正しさや合理性ではなく、振りかざす者の「立場」に依存する。
言っていることはヘンテコでも、相手の方に「生殺与奪権」があるから従わざるを得ない、ということだ。
③ゆえに、「フレイル」の射程外に出れば、すなわち「立場」が及ばぬ場においては、すべからく「無視することができる」。
区役所職員の例では、いかに区民といえども、一職員の休憩時間の過ごし方を指図できる"立場"にはない。この場合の「ミステリーフレイル」は、"ハナから問題にならない"ということだ。
つまり、「ミステリーフレイル」は、「立場」がすべて。
極端な話、強力な「立場」がありさえすれば「カラスは白と言え」ですら、まかり通ってしまう。カラスは「黒」であるにもかかわらず。
それゆえ、「ミステリーフレイル」ではない、「真っ当な理論」、「正当なルール」だと言いたいのであれば、「立場」をすべて度外視しなければならない。
自分の言うことを聞くべき立場にない人間相手にも、「なるほど…」と思わせられる。それほどの客観性、汎用性、合理性を備えて初めて、「理論」「ルール」ということができるのだ。
(2022/4/20に投稿した記事の続編)