エロゲ評「夏ノ終熄」2~飽食の時代における昆虫食への忌避~※ネタバレあり
※この記事は「2」です。「1」はこちらからどうぞ。
先日、とある企業がSNSに投稿した内容が炎上していた。「コオロギのクッキー」の写真を投稿したアカウントに対して、「気持ちが悪い」「肉があるのに昆虫を食べる意味が分からない」などおおむね批判的な意見が集中したのである。
そもそも、現代の先進国において昆虫を食べる必要があるのか。国際連合食糧農業機関(FAO)が2013年に発表した『食品及び飼料における昆虫類の役割に注目した報告書』によると、「昆虫食を取り入れることで将来の食糧問題解決への展望が見える」とされている。冒頭のコオロギクッキーは、その端緒と言えそうだ。
旗幟を鮮明にしておくと、筆者は肉食であり、積極的に昆虫食を好まない。前述の批判的な意見に対しても同調できるところもある。
本作はマルチエンディング型ノベルゲームであり、プレイヤーの選択によって結末が分岐する。その中の一つには、「動物性たんぱく質の摂取量が著しく不足した結果として免疫力が低下し、病気の悪化によりユウジとミオが死亡する」というなんとも救いのないエンディングがある。ミオは生きるために必要であるとは理解しつつも、「バッタ」や「カエル」を食することを忌避し、その結果として死に至る。なお、「バッタやカエルを食することを克服する」ような選択肢を選ぶと「病気が寛解し生存」となり、「動物を殺害して肉食を行う」と「そもそも病気にならず、ユウジとミオは健康なまま幸せに暮らす」という結末を迎える。
本作はあくまで創作されたフィクションであり、この一事を以て「食料が不足したら昆虫を食べる必要がある」「肉食は最高」と主張したいわけではない。また「ヴィーガンは健康に悪い」とヴィーガン批判をしたいわけでもない。私が述べたいのは「肉食主義者こそ、食事の際にきちんと食材の命に向き合えているか?」ということである。
現代日本は飽食の時代と言われて久しい。戦後の食糧不足はとうに解消され、日常生活において食事が摂れず困るということはない。日本の「食品ロス」は523万トンにも達し、メディアでは「映え」を意識した食事を見ない日がないほどだ。
食品ロスに関する社会構造の問題はいったん横に置き、ここで主題としたいのは「一個人としてできる食事への向き合い方」という精神面についてである。恥ずかしながら筆者自身も、食事中にスマホを操作したり、料理の味を味わわず日々のルーティンとして淡々とこなしてきた経験がある。
しかしながら、「料理」として供されているそれは「生きていたほかの動物の命」であり、私たちは生きる以上「他社の命を犠牲にしていかなければならない」という原罪を背負っている。
この避けられない命題について、曹洞宗では「五観の偈(ごかんのげ)」という、僧たちが食前に唱える句がある。下記に全文を記載する。
筆者は無宗教であり仏教の細かな教義は存じ上げないが、ここで述べられているのは「食材の命への感謝」「欲望のためでなく健康のために食べる」「食べることは自身の目的のためにある」ということであろう。
本作においてユウジはミオを救うため、動物の殺害を決意する。「自身の愛する人と幸せに暮らすという目的」のため、他の生物の命を奪うことを明確かつ積極的に選択する。そこにはミオに対する純粋な愛情と、自身の我欲によって死んだ動物への深い感謝と哀れみがある。
グローバル化の進んだ現代日本において、五観の偈の全てを徹底することは難しいかもしれない。しかしながら、肉を食べるにしても、また昆虫を食べるにしても「自身の正しい目的のために、他社の命をいただいて生きている」ということだけは忘れずにいたいものである。
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参考文献
・SDGsゼミリポート 「昆虫が食糧危機を救う? 昆虫食を取り入れて、持続可能な食生活を始めよう。」
・内閣府 食品安全関係情報詳細
・消費者庁 「食品ロスについて知る・学ぶ」