【文化財紹介】昭和初期のクラシックなビル ~安田ビル~
【2023年7月1日/大阪歴史倶楽部】
今月は大阪市西区にあります、昭和初期のクラシカルなビル「安田ビル」をご紹介いたします。
安田ビル
安田ビルは、現在の靱公園と京町堀通との間に建っています。もともとは個人企業の社屋(事務所か店鋪?)だったようですが、現在はテナントビルとして活用されていて、設計事務所などが入居しています。
靱公園は1955(昭和30)年に開園した公園で、この安田ビルが建った当時、靭公園の場所には「靱塩干魚市場」(海産物とくに干物を扱う卸売市場)がありました。
外観の写真
安田ビルの外観の写真です(2023年6月 大阪歴史倶楽部 撮影)。
建物の特徴
安田ビルは1936(昭和11)年に建てられました。すなわち大阪市が歴史上で最も繁栄していた時代(大正時代の後半から昭和10年代)の「大大阪時代」に建てられたことになります。このビルは鉄筋コンクリート造り地上3階、地下1階建で京町堀通に面して建っています。
正面外壁(ファサード)は当時全国的に流行していた黄褐色のスクラッチタイル貼りとし、2階、3階部分には古代ギリシア風のピラスター(柱形=付柱=飾り柱)を持っているところが特徴です。大きなビルではありませんが、このスクラッチタイルとピラスターが全体的に重厚で古典的(クラシカル)な印象を醸し出していると思います。
この安田ビルについて大阪歴史倶楽部は5年ほど前からその存在が気になっていたのですが、調べてみても設計者や施工会社等を知ることはできませんでした。
現在このビルは靱公園に隣接して建っていて、大きな建物ではなく内部の各部屋もそれほど広くはないのですが、とても良い状態が保たれていることや古い建物の特徴としてのクラシックな雰囲気があり、また室内の天井が高い事などの理由でテナントビルとしてたいへん人気があるそうです。
安田ビルへの行き方
安田ビルへは、大阪メトロ四つ橋線[※1]「肥後橋」駅7号出口から南へ約300m(徒歩約3分)です。
行き方の目安は「肥後橋」駅7号出口を出てそのまま真っ直ぐ四つ橋筋を南へ250mほど進みます。すぐに「京町堀1」の交差点がありますので、そこを西(右側=京町堀通)へ入って50mほど進むと左側(京町堀通の南側)に安田ビルがあります。
[※1]大阪市では、道路名および地下鉄の路線名などは「四つ橋」と「つ」を平仮名で表記し、同じエリアでも地名や駅名は「四ツ橋」と「ツ」をカタカナで表記するのが正式な使い方(使い分け)です。
おわりに
今回は大阪市西区の安田ビルをご紹介致しました。
この安田ビルは、1936(昭和11)年に建てられました。建物正面(ファサード)の全体には当時の流行の最先端であったスクラッチタイルを貼り、かつ2、3階部分には古代ギリシア風のピラスターを設けているという、当時としてはとてもモダンでお洒落なビルだったと思います。大きな建物ではありませんが、古典的で重厚な存在感のある佇まいだと思います。
じつはこの安田ビルは第二次世界大戦末期の「大阪大空襲」で大きな被害を受けたと伝えられています。しかし外観は竣工当初の姿をそのまま残して(復元して)、内部のみ戦後すぐに改装したそうです。
このようなエピソードからも、このビルが当初から大切にされていたことがよく分かると思いますし、また大阪の人の「古いもの(とくに大阪市にとっては栄光と繁栄の時代だった大大阪時代のもの)を大切にしつつ新しい時代に合わせてそれを活かす」という気質が現れていると感じます。
なお、ここで紹介いたしました安田ビルの建物を見学したり写真や動画などを撮影されるときには、所有者さんや管理者さん、周辺の方々に不快感を与えたりご迷惑にならないよう充分なご配慮をお願い致します。
また許可なく他の人の敷地内に入ったりしないようお願いいたします。とくに建物内部を撮影される際にはセキュリティの関係もありますので必ず所有者さんや管理者さんなどの許可を得てくださいますようお願いいたします。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
【参考にした資料】
◎高岡伸一 他『大大阪モダン建築』青幻社 2007年
(『大阪歴史倶楽部』第2巻 第7号 通巻15号 2023年7月1日)
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※次号は2023年8月1日に投稿する予定です。