誰かのために生きる、ということの正体
「自分のために生きよう。」
その方がいいと思っていたし、自分のために生きた結果、それが”誰かのためになればいい”と思っていた。
でも最近はまったく、自分のために生きていない。
「自分のために生きながら、それが誰かのためになればいい。」
じゃなく、
「誰かのために生きながら、それが自分のためになっている」
心からそう思えていて、だから楽だし、楽しく生きていられているんだと思う。
今日はそんなよく言われる「誰かのために生きる」ということはどういうことなのか。それが自分の幸せとどうつながっているのかについて、今の僕なりに書いていこうと思う。
僕たちはそもそも自分のために生きる生き物
よく結果は後からついてくる。だからまずはGIVEが大事。与える。
そんな言葉を聞くことがある。
これは実はよく陥りがちな”罠”。
まずは「そもそも僕たちは利己的な生き物で、自分のために生きようとする生き物だ」ということを認識しないといけない。僕たちは”そういうふうにできているんだ”と知っているだけで大きな差になってくれる。
僕たちには自己防衛本能があって、危険を回避しようとしたり、生き残るための本能が元々に備わっている。(セックスしたいと思うのも生存本能からきている)
だから自分を生かそうと、僕たちは利己的に生きる。
僕は利己的でいいんだと思う。自分のために生きればいい、それが基本だから。どんな行動もそういう生き物だからで説明がつく。
でもここでの利己を自己中心的な利己ではなく、自己完結型の利己にしていけると、大事な人との関係をもっといいものにしていけると思うんだ。
誰かの人生を生きないために「自己完結型の利己」へ
それはつまり「自分で自分の機嫌をとる」ということ。
人は弱い生き物で、気がつけば誰かにご機嫌を取ってもらおうとしてしまう。
例えば、こういう人がいる。
自分に自信がなくて、自分で素直に自分を褒められないからそんなことないよって言ってもらって、他人に褒めてもらう。それで自分が喜ぶ。
褒められるために頑張る。認めてもらうためにやる。
これを僕は、自分のご機嫌とりを他人に外部委託していると思う。
こうなってしまうと、それは他人の人生を生きていることになる。
認めてもらえる人がいるところに行って。褒めてくれる人にどうすれば褒めてもらえるかなと考えて生きる。
他人からの承認を求めて、結局は自分が褒められて満たされることを求めて、自己中心的な利己で生きていると、どこまで他人に認められようと生きてしまう。褒められなかったら意味がなくて、機嫌が悪くなってしまう。
だから自己完結型の利己でいれたらいいなと思う。
いつだって自分を自分で満たして、自分で自分の機嫌を取れるように、まずはなる必要がある。そうすることで初めて誰かのために生きることができる。
誰もあなたのためには生きてくれない。
自分も他人のために生きているわけじゃない。
だからみんなも、自分も、自分のために生きていることを認識して、それから自分の心のコップは自分で満たせるようになると、もう誰かから褒められたり、認められることを必要としなくなる。それがなきゃご機嫌に生きていけないということがなくなる。
自分の心のコップは自分で満たせているから、もし仮に誰かにありがとうを言ってもらえたり、誰かのためになれていると感じたら、コップはもう十分に満たされているから溢れて、嬉しくなれる。
有難いなあと思える。
だって、ないものがあるから。自分で満たせていて十分以上のものが、誰かから与えてもらっているから。
「利己」から「利他」へ
だからいきなり「自分のためではなく、他人のために生きよう」と思ってもそれは簡単なことではない。本当に難しい。
そもそも自分に何ができるのかもわかっていないし、どこに求めているのかも知らないし、どう与えていいかもわからない。
だからまずは「利己」からなんだ。それから誰かの承認を必要とした自己中心的な利己ではなく、自分で自分を満たして、自分で自分の機嫌をちゃんと取れるようになる自己完結的な利己になる。
そもそもちゃんと「利己的に生きれているか?」を考える。
それはつまり「自分が1番自分を大事にできているか?」ということなんだと僕は思う。
「自分を1番自分が大事にできている」
そう言えた時、ようやく誰かのために生きられる。
僕は利己的(自分のため)ではなく、今利他的(誰かのため)に生きているんじゃないかなと思う。(少なくとも僕はそういう心持ちでいられている)
それは自分を自分で満たせて、自分の機嫌はほぼ100%自分で取れているからだ。
だから代筆屋として手紙を書くことも、誰かの悩みを聴くことも。他にしている婚活のサポートの仕事も、畑でレモンを育てる仕事も。妻さんと一緒に過ごすこともそうだと思う。
ぜんぶ、誰かのためにしている。
僕は「この人のためになれている」と自分で思う。
本当の「誰かに与える」ということで、誰かに与えるためにまずは自分に自分が与えられる人になる必要があるんだ。
それが結果的に、本当に有り難いことに、いろんな形で自分のためになってくれているという実感がある。
「ありがとう」という感謝の言葉をもらうこと。報酬としてお金をいただくこと。深刻だった様子が笑顔になると嬉しくなる。愛して、愛される。
そうすると、気がつく。
僕は僕のために生きているけれど、僕が生かされているのは、僕以外のすべてがあるからだと。
僕が呼吸をして酸素を吸って、吐いた二酸化炭素を植物が吸って、酸素を作ってくれている。
そうやって、いろんなものがつながって生きている。きっと一つとして影響しあっていないものなんてない。
今生きているから、自分のために生きられる。
だから有り難くて。思わず、手を合わせたくなる。
誰かがいてくれるから、生きているなら、僕は誰かのために生きようと思うよ。
もう自分のためだけに生きなくていい。
ちょっとずつ、まずは自分のために生きて。
それから誰かのために生きたれたら、きっともっといいね。
そんなふうにちょっとずつ僕らは自分とか他人とか誰かとか、そんなものを意識せずただ相互に、お互いに気持ちよく、心地よく、穏やかに生きていけるんだと思う。
誰かのために生きようと思うあなたへ
誰かのために生きる物書きより
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