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#43 情熱についての愛を語る
誰かへの愛を語る時、何が必要なのだろう。
そんなことを、最近つらつらと考えている。近頃めっきり更新頻度が以前に比べて下がってしまったのだが(これは定期的に起きている)、その間わたしはこれまで自分が生きてきた人生を振り返っていた。今まさに転職活動中で、まるで新卒採用時に戻ったかのように、「はて、わたしの生きる軸は何だったけかな?」と模索している。
思えば、わたしはとにかく何かせずにはいられない人間だった。周りの人に自分がどんな人間かを聞くと、「とにかくいつも何かしていて楽しそう」と返ってくる。いつも何かしているのは事実だが、楽しいかというとそうでもない。いつだって自分とはどんな存在なのかを悩んでいて、時には自分の器量の悪さや鈍さなどが目について嫌になる。
では、なぜいつも私は何かをせずにはいられないのだろう。昔からじっとしていられない子どもだった。よく迷子になるので、デパートでアナウンスされたこともある(そういえば最近プライバシーの問題からか、あまり聞かなくなったが)。
とはいえ昔に比べると、かつてのような無尽蔵のやる気は湧いてこないような気もする。と考えた時に、うわこのままノホホンと安穏に暮らして良いのかという漠とした不安感が身を襲う。ここのところいろんな人と会話している中で、自分がどんな人間なのか思い出した。
*
求心
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何かせずにいられないこの原動力の源はどこからきているのだろうか。きっとそれは、幼いころから感じていた強烈な飢えと現状に対する焦燥感からきている気がする。絶えず、自分は変わり続けないと気が済まなかった。とにかく負けず嫌いで、部活でも最後まで残って練習していた。
──ああ、そうか。人と同じではいたくなかったのだ。人と違うことをしたかった。わたしが、私として認識できる道を歩みたかった。
このごまんと人がいる中で、わたしという個人が没入することを恐れていた。ただわたしだけを見ていてほしいという強烈な承認欲求が働いていた。たぶん、自分がわたしのことを誰よりも好きだからだ。認めてほしかった。見つけてほしかった。探してほしかった。
滾るほどの情熱がほとばしる。人と違うことがしたいがために、それを模索している中で様々なことを手あたり次第やっていたし、満足するまで向き合った。でも、不思議とすべてが中途半端になってしまう。元来、飽きっぽい性格なのだ。何かを極めるには向いていない。
英語検定準1級、TOEIC850、簿記2級、ファイナンシャルプランナー2級、基本技術者試験、環境社会検定……。どれも最後の一歩手前までの級しか取っていない。というより、取れなかったのだ。履歴書を見たときにそれなりに見栄えはするが、埋もれてしまう。無味乾燥、曖昧模糊、五里霧中。
履歴書につらつらつらつらと書いていく。これがわたしの歴史だ。
資格を得ることで、確かな手触りを求めていた。自分の中でとりあえず取ったという成果が欲しかった。とにかく勉強することが好きだった。本もそれなりに読んだし、20代は誰かに誘われたら断るということをしなかった。1分1秒たりとも、無駄にしたくなかった。次の日眠気に襲われようとも、焦りがそれに勝ったのだ。
でも、決して自分が器用でないことは重々承知している。わたしにはどうしようもない突き上げる情熱が人よりあっただけだ。そのどれもが、突き詰めることはできなかった。結局、途中で飽きてすべて放り出してしまったのである。短距離走でいうところの、80mで息切れ状態。
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その爆発的な情熱は、何か自分自身新しい団体を立ち上げたいという思いへと向き、気が付けばカメラサークルを作るに至った。Webサイトの立ち上げから始まり、集客、企画、ほぼすべての作業を行った。結果としてそれなりに人が集まるまでに成長したし、自分としてもきちんとした成果が出せた。でも結局それも、コロナが蔓延したこともあって3年までしか続かなかった。
とにかく自分を高めようとした結果、見えてくるのは自分がある一定の至高の壁を目にしたときに、そこで別の関心に惹きつけられてしまうということ。これが、自分の最大の弱点だ。諦めてしまうのだ。たぶん志向的にはプロフェッショナルというよりかはジェネラリストが合っているのかもしれない。
近頃よく考える。コロナで一度は、その情熱が萎んだ。でも本当は、その出来事を言い訳にして逃げたかっただけなのかもしれない。突っ走りすぎて、息切れして、これがあと何年続くのだろうと猛烈な不安に襲われるのだ。わたしはどこに向かって走っているのだろう。
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「なぜあなたは転職活動をしているのですか?」
面接を受ける過程の中で、必ずと言っていいほど聞きなれた言葉。その度に、言葉の意味はすり減っていく。今の職場環境は、おそらく人よりもずっと恵まれている。人間関係に神経を尖らすこともないし、なんだかんだわたしは今の仕事が好きだ。それでも環境を変えたいと思ったのは、このままではいけないと漠とした焦燥感と燻っていた情熱が揺らめき始めたのだ。
歳だなんだと言い訳をして、コロナだなんだと言い訳をして、環境がなんだと言い訳をして、そんなことをしている自分に飽き飽きしたのだ。自分を極めたいと思う情熱、誰かをもっとよく知りたいという情熱、この世の中をもっとよくしたいという情熱。
沸々とマグマのように沸き起こってくる。ただ、後悔はしたくないだけだ。今、新しいアイデアが次々と沸き起こっているし、新しい経験や知識を学びたいという欲も出てきている。
いつか愛する人に伝えよう。
いかんともしがたい情熱を手にして。
「ただ、あなたを愛しています」、と。
故にわたしは真摯に愛を語る
皆さんが考える、愛についてのエピソードを募集中。「#愛について語ること 」というタグならびに下記記事のURLを載せていただくと、そのうちわたしの記事の中で紹介させていただきます。ご応募お待ちしています!
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