#74 図書館についての愛を語る
最近少し余裕ができるようになって、以前と同じかそれ以上の頻度で足繁く図書館へ通っている。図書館は例えていうならば、膨大な海。澱となった砂つぶが幾重にも底に貯まっていて、私は自分が携えたいと思う原石の粒をそこから掬い取ろうとして、深く、深く水の底へと潜る。コポポ、コポポポポ……と心地よい音が、耳の横を通り過ぎていく。
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昔は古本屋へ行っても、書店へ行っても、自分が興味ありそうだなとか面白そうだなと思ったものは片っ端から手にとって、買っていた。一通り読むと、7畳一間の私の狭い部屋には置けなくなり、だいたい定期的に実家へ送ってしまう。そしてある時、母から電話が掛かってくる。
「あなた、もう家に本を送りつけるのはよしてよ!」
「え、何かありました……?」私は、母も本を読むから悪くないプレゼントだくらいに思っていたのである。好意の押し付けだ。
「本が、本が、部屋を占拠しすぎて、床が抜けそうになってるの!(*1)」
「あへぇ……」
最初は事態を軽く見ていたのだが、相手の声音は予想以上に深刻みを帯びている。やがて彼女に詳細を説明され、私は初めて自分の行動を恥じることになる。頭の中には、木皿泉脚本の『すいか(*2)』に出てきた教授の部屋。奇しくも、彼女の部屋もまた膨大に積み重なった本の重みに耐えられず、床が抜け落ちてしまったのである。想像してちょっぴりゾッとし、それからいたたまれない気持ちになった。
頭の中では、チラチラと桃の花びらが舞っている。何百冊と限りなく積まれた本の重さを考えた。
「こりゃ大変!」
そしてコロナ禍を機に、より広い場所へと引っ越し、実家にあった本をすべて呼び寄せた。結果として本だけでまあまあ部屋のスペースを占めるようになり、私は頭を抱え、その時に改めて本を買うときは自分が本当に好きだ、と思ったものだけを置くことにしたのである。
私が引っ越した家の近くには、徒歩10分もしないうちに街の一番大きな図書館へ辿り着くことができる。それが、私が今の住む場所を選んだ理由のひとつでもある。やがて、私はいつしか毎週のように足繁く図書館の海へダイビングするようになった。最初は不慣れで溺れそうになっていたのだが、近頃はベテランダイバーよろしくスイスイと泳ぐことができるようになった。
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図書館の海の砂を、掬う
茫漠な海を漂い続けるには、ひどく根気がいる。
もともと目当ての本があるようなら、まだいい。しかし大抵私は目的もなくただプカプカプカプカと海の中を漂い続けているのである。下手したら何時間も何時間も。海の中はとても心地よくて、思わず私はその中にいつまでもいたいと思ってしまうのだが、いかんせん海の中にいると酸素ボンベ内の空気は少しずつ減っていくし、そして水の重さで体が圧迫されるようになってくる。
昔実際にダイビングをしていたことがあり、ライセンスを取るくらいまでには好きだった。水の中ではいくつも色とりどりの魚たちが泳いでおり、それは初めてみる世界だった。美しく、思わず見惚れてしまう。珊瑚礁の間をすり抜ける魚たちの邪魔をしないように揺蕩う。
図書館をあてどもなく放浪していると、水中パトロール隊に扮した司書の方が「何かお困りごとはございますか?」と、それはそれは素敵な笑顔を浮かべて私の助けになろうとしてくれる。あ、いやいや助けには及ばんです。ふと『お探し物は図書室まで(*3)』の情景が浮かんだ。あんなふうに、毛糸に針を刺して出迎えてくれる人がいたらそれはそれで面白いと思うが、手を煩わせてしまうのは申し訳ない。
やがてこれはなんかいい方法ないかなーと思ってたどり着いたのが、LIZAPという手法である。これは某有名なスポーツクラブと一文字違いではあるが(あれは先頭がR)、この手法の正式名称はライブラリー・ザッピングである。ちなみに、私が勝手に命名した。
ザッピングとは、テレビをガチャガチャとチャンネルを回し、「なんか面白い番組やってねぇべか」と回遊する行為をさすが、図書館でも同じことができると思われる。これはいわゆる、図書館の海では誰かが見つけた原石を掬っていく行為を指す。
誰かが借りて返した本は、私の通う図書館においては、一旦本棚へと帰る前にジャンル分けして返却本棚に並べられる。それぞれの海域へと落ちゆく前に、その隙を狙って面白そうな本がないか見て回るのである。これは、海全体を泳いで回るよりもとっても効率が良い方法と思われた。
そして、回遊し続けた結果、つい先日私は光り輝く原石を見つけた。それが何気なく手に取った『水中の哲学者』という本である。読み終わった瞬間、恋する乙女のような状態となった。本作の中身についての話は次回へ続く。
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さて、再び図書館についての話に戻る。小説にも図書館を巡って戦争が起こるという作品(*4)があるくらい、一部の熱狂的な本好きの人たちにとっては欠かせない場所ではなかろうか。最近もう見なくなってしまったけれど、ふと思い出せば昔は貸出カードに名前書いて本を借りていたことを思い出す。
今はバーコードでピッピピッピと入力すればもうそれで貸し出し完了なのだから、便利な時代になったものだ。でも、貸出カードがなければ雫と天沢聖司が出会うことがなかったわけだから、運命とはわからないものである。今やどんなに耳をすませても、軽快なバイオリンの音は聞こえてこないのよ。便利な時代だが、当時カードで借りていた時のことが懐かしくなる。
本屋さんもそうだけど、私は基本的に図書館へ行くと、ワクワクする。実際にタイトルの書かれた本を手に取って、次はどんな冒険に出ることができるのだろうと心弾ませながらページを捲る瞬間。これは他のどんなものにも代え難い贅沢だと思うのだ。過去の偉人たちが書き留めた叡智。筆者たちが丹精に書き留めた言葉の渦を、掬い取る。
それはいまだ恋焦がれる恋人に対する気持ちと似ているのかもしれない。今日もまたたくさんの人々が訪れ、手にとる本に片思いをして図書館を去る。それが、なんとも愛おしい、強烈に愛おしいと思った。
故にわたしは真摯に愛を語る
おまけ(注釈)
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