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『秋を奏でる芸術祭』出展まとめvol.2
「秋の夜長」とはよく言ったもので、圧倒的に夏の時期に比べると秋の季節の方が日が暮れてからまた再び昇り始めるまでの時間が長い。
活動的になる日中とは違い、夜は色々考える。今日起こった出来事や自分が今抱えている懸念点、明日の自分は一体どうなっているのか、世の中の状況に関して、旅に無事行けるようになるまであとどれくらいかかるのか。
全てがもどかしく、どうにもならない力ばかりが働いている。鈴虫のなく音が遠くから聞こえ、静けさの中で涼しい風が吹く。月は出ておらず、辺りは小さな星が瞬くだけだった。
愛しい秋、名残惜しい。ただひたすら耐え忍ぶだけの冬は来てほしくなかった。私はいつまでも余韻に浸っている。
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さて、11月15日から募集を開始させていただきました、yuca.さんと合同企画となる『秋を奏でる芸術祭』。おかげさまで日々、秋を愛しく思う方々からの記事をドンドコドンドコ寄稿いただいております。楽しく読ませていただいておりまして、唐突ではありますが早速先週に引き続きご紹介をさせていただければと思います。
■秋の風に私を乗せて #秋を奏でる芸術祭 / いわしろゆいさん
記念日は記憶を連れてくる。私にとっては秋が誕生月だから、秋が記憶を連れてくる。同時に、秋は記憶を洗ってくれる。必ず訪れる季節だから年ごとに更新されて徐々に変わっていくのだろう。
ゆいさんの記事は、いつも私の心の中の琴線にそっと触れてくる。最後まで読み終わったときに、ふと涙が出てきそうになって慌てて瞳に力を込めるのだ。
さまざまな事情があり、ゆいさんは一度noteから去ってしまってその当時私はとても胸を痛めたけれど、また戻ってきてくださってよかった。私は、ただただ嬉しかったです。(この場でこうした感情を吐露すること、お許しください。ご不快に思われたらそっと消します)
再びふわりと現れたゆいさんの文章は、相変わらず凛としていて引き込まれる。私はちょうど生まれた日が夏の終わりと秋の始まりの狭間。ゆいさんの文章を読んで、ああそういえば私が生まれてからいろんなことがあったなあということをぼんやり思い出した。
誰しも、ひとりになって考える時間は必要だと思う。目まぐるしく動く世界の中で、何が自分の芯になっているのか、振り返る。生きていたら辛いこともそれはそれはもちろんある。自分を見失いそうになる時もある。
でも、過去の自分が今の自分が誰かということを思い出させてくれる。
■「朝霧」 / NOCK│ノックさん
優しい味付けの味噌汁は、紗希の酔った体にスウッっと染み込んだ。
NOCKさんの文章は、柔らかくて爽やかな風がいつも吹いている。私の勝手なイメージ、真っ青な海の上で華麗にサーフボードを乗りこなす人。毎回記事を読むたびに、温かい気持ちに包まれる。
今回NOCKさんに寄稿いただいたのは、小説である。どちらかというとこれまでエッセイを中心に執筆されていたので、とても新鮮だった。でも変わらず、文章の中に軽やかな風が舞っているのだ。
主人公紗希と、友人の葵とのLINEによる掛け合いもなんかいいな、と思った。仲の良い二人だからこそ醸し出せる空気感ってあるよね。お節介だと思いつつも何とか友人同士を結びつけようとする葵の言葉にほっこりした。
それにしても。浴びるほどに飲んだ後に飲むお味噌汁って、何であんなにも美味しいのだろう。
幾分かの後悔と、安堵感。何かに包まれているという感覚。もう凝った料理なんていらないから、愛情込めて握られた程よい硬さのおにぎりと適度にしょっぱい味噌汁を出してくれる人がいたら、私はその人のことを尊敬の眼差しで見てしまうだろう。
■ぼくらは椎の実 / チズさん
故郷の実家近く、坂道の中ほどに一軒の農家がある。土蔵のわきの道に面した一角に、年老いた椎の木が一本立っていた。
チズさん、初めまして。この度は、素敵な記事を寄稿いただきましてありがとうございます。恥ずかしながら、私は写真を拝見したときに「あり、これってどんぐりではなかろうか」と思っていたのですが、調べてみたらどんぐりって椎や樫の木の実の総称だったんですね〜知らなかった!
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チズさんの文章を読んでいて、もう明確に情景が思い浮かぶ。母親が椎の実をフライパンの上で炒っている。どこからか何とも言えない、香ばしい匂いが漂ってくる。甘いお菓子ではなく、少し大人のおつまみにも似合いそうな味わい。小さい時その美味しさを理解できないというのも納得がいく。
たとえその時から何十年経ったとしても、木は人間よりも長命で。ひたすら長い間同じ場所に留まって、その生命を全うするべく生きているのだろう。懐かしさの影に込められたチズさんの思いに、ほんの少し触れることができた気がした。
私も今度道端で椎の実を発見したら、早速炒って見たいと思います。改めて秋の味わいを感じられる記事を寄稿いただきありがとうございました。
■あきのおさんぽ【ショートショート】600文字 / 井月 亜矢さん
さくさくさく。足元にはいろんな形の葉っぱが落ちている。
ちゃんと秋はきていて、そろそろ冬に季節を譲ろうとしている。
晴れた秋の昼下がり、不思議と心は弾んでいて道端を歩くだけでワクワクする。青空と対照的に広がるのは、赤や黄色に彩られた葉っぱたち。
さくさくさくと地面を踏みしめる音が小気味よい。上を見上げても下を見下ろしても楽しい季節って、きっとこれほどさまざまな方向から楽しめる季節も他にない気がする。本当に落ち葉の上に寝っ転がると気持ちいいよね。何だか生きている気がする。何となく、主人公の気持ちになった気分で空を眺めてみる。青い空と棚引く雲が広がっていた。
ああ、今日も天気が良さそうだし、外に出掛けよう。私を縛るものは何もない。ただ、日常の平穏な空気がひっそりと呼吸をしていて、斜めから差し込む光に心を落ち着かせる。秋の色を感じる素敵な記事を寄稿いただきまして、ありがとうございました!
■銀杏三句 (秋を奏でる芸術祭参加) / 守屋聡史さん
舞い落ちて輝きを増す銀杏かな
私が住んでいる街にも、素敵な銀杏並木が立ち並ぶ道路がある。私はその場所を通る度に、心が弾む。黄色い葉が風に乗ってちらちらと舞う姿に胸がいっぱいになる。なんて荘厳な景色なんだろう。もちろん気に宿っている時も素敵だけど、地面に落ちる瞬間も神々しい。はっと息を飲む美しさ。
守屋さんに寄稿いただいた俳句をまじまじと読むと、改めて銀杏が持つ内的な輝きを思い出すことができる。文章のように詳細な描写があるわけでもないのに、それは不思議な感覚だった。
ああ、あの黄色は確かに檸檬を思い起こさせる。遥か昔、私が好きな人と一緒に手を繋いで歩いた銀杏並木。光が差し込んでいて、遠くから鳥のささやかな鳴き声が聞こえてきた。それだけで、もう誰かに祝福されたような気がした。透き通った空気の匂いがした。
昔のほろ甘い記憶を思い起こさせていただきました。改めて、素敵な俳句を寄稿していただきましてありがとうございます。
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歩くたびに、寒さが身に堪える日が続く。でも日中はポカポカと暖かくて、それがまたこれから来る本格的な寒さの訪れを想起させる。わからない、わからないけれど私がこの迫り来る長い長い冬を乗り越えて、来年秋が再び私の元を訪れるときには、より一層秋の素晴らしさを感じられるような気がして。
皆さんの記事に、私は励まされております。精一杯秋の風を吸い込んで、気持ち新たにスキップしながらカサカサ鳴る落ち葉の上を踏み歩く。ああ、葉は装い新たに、また生まれ変わるんだ。
【yuca.さんのまとめ記事】
↓企画の詳細は以下です。
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