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晴読雨読

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晴レノ日モ雨ノ日モ、私ハ本ヲ読ム
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#最近の学び

あたまの中の栞 -文月-

 どうやら7月は旧暦の名の通り、手紙を認めたくなる月らしい。以前イースター島で出会ったアンドレイという青年と気がつけば文通を交わすようになり、久しぶりに彼に宛てて手紙を書いた。心を鎮めてゆっくり丁寧に文字を綴っていく。不思議と気持ちが落ち着く。誰かに読んでもらうというだけで手が震える。  ようやく1年の折り返し地点。でもなんだかあっという間だった気もする。どこか遥か彼方で起こっている出来事のように感じても、今まさに私が住んでいる家の近くで各国がしのぎを削っている。そしてきら

新たな扉をそっと開くために

 最近、夏だからなのか色々モチベーションが上がってきている。やっぱり気温が高いと不思議と体もスムーズに動くものらしい。久しぶりに髪を切りに行ってショートカットにしたおかげでだいぶ心も軽くなった。冬は寒さ対策も兼ねて長く伸ばしているのだが、毎年この時期になると思い切ってぱつっと髪を切る。  自然とこれを機にいろんな本を読んで新しい考えや世界を吸収したろうではないか、という気持ちにもなってくるのだ。懲りもせずまた少しずつ小説を書き始めていて、どうしたらいろんなアイデアが湧いてく

シエラレオネの祈り(後編)

<前書き> 今回の記事は「戦争」について触れています。この手の話が苦手な方は、後ろを振り返らずに、そっと記事を閉じていただければと思います。またあくまで私が読んだ本を参考にしており、全てが事実かどうかは分かりませんので悪しからず。今回は2部作のうちの後編です。 ↓ 前回の話はこちらです。  そういえば昔よく近所の子どもと掴み合いの喧嘩をしたことを思い出した。喧嘩の原因はよく覚えていない。たぶん、些細な主張のすれ違いがきっかけだったように思う。その頃、私は自分の考え方がまか

シエラレオネの祈り(前編)

<前書き> 今回の記事は「戦争」について触れています。この手の話が苦手な方は、後ろを振り返らずに、そっと記事を閉じていただければと思います。あくまで私が読んだ本を参考にしており、全てが事実かどうかは分かりませんので悪しからず。またちょっと長いので、2部構成としました。  私が生まれた世代では、日本の中で幸運にもこれまで血が飛び交うような争いが起こるなんてことはなかった。だが今こうして息をしている中でも、地球の裏側ではたくさんの子供たちが毎日生きるために必死になって暮らしてい

とろけるものには毒がある

 今では遠い遥か彼方の記憶だが、よく休みの日になると親の車に乗せられて、植物に囲まれたシンプルながらも清潔さに満ちた家にお邪魔したことを思い出す。その時々によって違ったが、行くとその家に住む仕立ての良い貴婦人が近くの子供達を集めて、神秘的でワクワクするいくつかの物語を語って聞かせてくれるのだった。  驚くべきことにそれなりの長さにもかかわらず、彼女は全ての物語を暗誦していた。おまけに頭の中にある物語をそれはそれは情感たっぷりに語って聞かせてくれるのである。私はその時間を迎え

ストーリーの作り方(備忘録)

 気がつけばnoteを始めてから1年が経ったことに驚きを隠せないでいる。年々時が過ぎていくのが早くなっていく。思えば書き初めの頃は自分が一体何を表現したいのかがよくわかっていなくて、そして残念ながらいまだによくわかっていない(情けない……)。少しずつ小説的な何かを書くようになって、登場人物たちが思うように動いてくれずヤキモキしてしまう。  本当はどこかできちんと脚本術を習いたいな、と思いつつも一体どこで何を学べば良いのかと生まれたての子鹿のように暗中模索で手探りをしている。

退屈な時間を持て余す

 昨日ミヒャエル・エンデの『モモ』について、数十年の時を経て改めて考察した記事を書いたけれど、たまたま最近読み終わった本が時間の過ごし方に関して書かれていて、今日の記事についてもその延長線上のような形となっている。  先日、友人から『暇と退屈の倫理学』という本を借りる機会があり、早速読んでみた。私自身、効率的に時間を使うことに囚われすぎている自分に半ば嫌気がさしていて、ちょうど良いタイミングで読むことができたように思う。 *  流しっぱなしの誇大広告にいつの間にか踊らさ

時間と心の摂理

<前略>ふと下書きを恐る恐る覗いてみると、私が過去書き終わらずそのまま放置しておった記事が無惨にもかなりの数残っておりました。どうにも書き始めるところまでは良きですが、その後が続かないというのが悲しいところでございます。当記事は、少し前にミヒャエル・エンデ『モモ』を読んだ感想を書き記そうと孤軍奮闘した結果おざなりになっておりました。若干固い内容になっておりますが、悪しからず。  物心つくと、とにかく何かせずにはいられなかった。 *  取り残される、というよりは限られた時

あたまの中の栞 -如月-

 一年のうちで一番短い月、二月。気がつけば新しい年が始まっていて、そこから二ヶ月も経ってしまった。不思議な気分だ。緊急事態宣言が発令された結果、緩く外に出るような日々が続いている。  どちらかというと家から出る時間もだいぶ減ってしまったので、気楽な感じで本やら映画やらを楽しんでいる。さすがにずっとこのままの生活は耐えられないと思うけれど、自分が好きだと思える世界にどっぷり浸かれる時間ほどこの世に素晴らしいものはないのでは、という気さえしてくる。  先月から引き続き、一ヶ月

記憶は決して色褪せない

 自分の幼少期の頃を、思い出そうとしている。まだ物心つく前のことで、善悪の区別もついていなかった。その頃の自分は、誰かと接するときや何か行動を起こすときなど、そこには一切の偏見や先入観が存在していなかった気がする。確かに、この世界にあるすべての物事は新鮮だった。  今では、ある程度自分の中で経験や知識が蓄積された一方で、どこか物事をフラットな目で見ることができていないのではないかという思いに駆られてしまう。そんなとき、原点に一度戻るために読むのがアメリカ人作家Truman

言葉のマリアージュ

 物語を読んだ衝撃で、しばらく思考停止になってしまうことが時々ある。  これまで読んだ中でいうと、パッと思いつくところでは西加奈子さんの『サラバ!』、百田尚樹さんの『錨を上げよ』など。本当に読み終わった後に、どうしようもなく感情が揺さぶられる。物語が放つ吸引力に、一歩も動けなくなる。  良質な作品というのは、人によってさまざまな定義があると思う。少なくとも、私の中ではその一つの基準としては「カタマリ」が挙げられる。  登場人物が放つ、エネルギーの「カタマリ」。その気に当

読後感想文:『消滅世界』

正常ほど不気味な発狂はない。だって、狂っているのに、こんなにも正しいのだから。(河出文庫・p.248)  今わたしが生きているこの瞬間は、何か意味があるのだろうか、そしてこの先何が待ち受けているのだろうかと思うことがある。その延長線上の思考の中に、わたしがわたし自身たりうるその存在を築き上げているのは、いったい何なのだろうかとよくわからなくなってしまう。  昔何かの紹介番組の中で、村田沙耶香さんの『殺人出産』という本の特集を見た。その時に一度読んでみたいと思ったまま、その