記憶は決して色褪せない
自分の幼少期の頃を、思い出そうとしている。まだ物心つく前のことで、善悪の区別もついていなかった。その頃の自分は、誰かと接するときや何か行動を起こすときなど、そこには一切の偏見や先入観が存在していなかった気がする。確かに、この世界にあるすべての物事は新鮮だった。
今では、ある程度自分の中で経験や知識が蓄積された一方で、どこか物事をフラットな目で見ることができていないのではないかという思いに駆られてしまう。そんなとき、原点に一度戻るために読むのがアメリカ人作家Truman Caporteの作品。
先日図書館に行ったら、村上春樹さんが訳した『誕生日の子どもたち』という作品が置いてあったので、早速手に取ってみる。最後まで読んだ結果、心が洗われた気持ちになった。かつての自分に立ち帰りたいと思っている人に、ぜひ読んでほしいと思った作品。
■ 作品の概要
本作品には、全部で6篇の短編が収められている。どの作品ももともと使用されている英語が美しいことに加え、村上春樹さんの言葉で綴られているため、全体的に構成が流麗。最後まで読み終わった時に、一つのコース料理を食べ終わった気分になった。
正直どの物語から読んでみても、一定の満足感は得られるかと思う。だがここはやはり順番通りに読むことで、読み終わった時により充足感が得られる気がする。きっと村上春樹さんも、意図して本作のような順番にした気がしてならない。
ちなみに本短編集の『無頭の鷹』には、『The 39 Steps』という1936年に製作されたイギリス映画の名前が登場している。気になって試しに見てみると、当時のモノクロであるという特性を活かした非常に完成度の高いミステリー映画だった。最後まで息つく暇もない展開の速さで、すっかりその世界観に魅了されてしまう。本筋と逸れるが、個人的におすすめの映画だ。本記事のタイトルにも多少なり、影響を与えている。
以降、本作品をコース料理に見立てて紹介をしていく。
1. 誕生日の子どもたち【前菜:オードブル】
善行とは見返りに何かをほしいから行うものなのです。(文春文庫 p.46)
オードブルからソルベに至るまでは、一貫して「僕」で語られる同一人物が主人公の作品となっている。
本作では、どこか洗練された雰囲気を持つミス・ボビットと言う女の子が主人公。お金に対していやに正直だったり、自分の言葉で意見を訥々と述べたり、すこぶる大人と遜色ない考え方を持っている。彼女がやってきた当初地元の子供たちは畏怖に似た気持ちを抱くも、彼女の振る舞いはいつしか他の子どもたちにとって憧れの存在となっていく。
書き方によっては、どこか印象が重く終わってもいいはずなのに、カポーティ特有のさらりとした言葉のおかげで、どこか流れるように言葉が綴られていて、どこからか爽やかな風が吹いているような気持ちになる。
2. 感謝祭の客【スープ】
私が申し訳なく思ったのは、世の中に何ひとつ持っていない人たちがいる一方で、余分なものまで抱えこんでいる私たち全員についてだよ。(文春文庫 p.75)
「僕」が親友と呼べる人物は、ミス・クックという60代の老婦人だった。
彼女は年齢を重ねている割に、あまりにも純粋無垢なため周囲からは知恵遅れと言われていた。そんな風評が流れていても気にすることなく、「僕」はミス・クックと行動を共にする。
本編では、「僕」がクラスで大嫌いなオッドという男の子を、ミス・クックが感謝祭に招く。「僕」はそのことに対して嫌悪感を示すも、ミス・クックはオッドの家庭背景も含めて彼のことをよく知りなさいと諭す。
自分が苦手な相手に対して、それを受容するのは並大抵のことではない。だけど、その相手の考えや生き方を知った上で関係性を築き上げていきたいとしみじみ思わせられた作品。
3. クリスマスの思い出【魚料理:ポワソン】
でもそれ以上に私がたまらないのはね、誰かにあげたいと思っているものをあげられないことだよ。(文春文庫 p.129)
私の記憶違いでなければ、同作家の『ティファニーで朝食を』という作品にも収められていた気がする。個人的には、6つの作品の中では個人的に一番好きな作品だった。
引き続き「僕」とミス・クックとのエピソードが語られる。クリスマスにまつわる、心温まるストーリー。贈り物って、「何を」渡すかではなくて「誰が」「どんな思いを持って」渡すかが重要なんだな、と改めて考えさせられた。
4. あるクリスマス【口休め:ソルベ】
僕はこれまでに感じたことのないような痛みを感じた。その激しい痛みが全身を刺した。(文春文庫 p.158)
「僕」と父親をめぐるエピソード。おそらく、『クリスマスの思い出』の物語と対になっている。ミス・クックと対照的に、「僕」の父親は子どもの気持ちをあまり省みない最低の人間のようにどうしても見えてしまう。
ミス・クックと「僕」の父親は、ともに「僕」のことを「バディー」と親しげな関係の人に使う呼称で呼ぶのだが、二人と「僕」との関係性はあまりにも正反対で、どこか胸がちくりと痛んだ。
5.無頭の鷹 【肉料理:アントレ】
磨かれなかった才能、出発することのなかった航海、果たされなかった約束。(文春文庫 p.200)
これまでのストーリーとは一転して、一人の成熟したヴィンセントという男性の姿が描かれている。彼はある日、DJという一人の女の子と出会う。彼女自身は恐ろしく自由奔放で、あまりにも無垢な姿をした子だった。
DJという女の子自体が、ヴィンセントがかつて持っていたと思われる夢見る純粋な気持ちを体現しているのかな、と思った。私自身、かつてはるか昔に置き忘れてしまったものを思い出したような気がした。
本短編において、『The 39 Steps』が紹介されている。
6. おじいさんの思い出【デザート:デセール】
人というものは一度離れてしまうと、お互いのことを忘れていくものなんだよとおじいさんは言った。(文春文庫 p.220)
両親の事情で、もともと一緒に住んでいたおじいさんとおばあさんと離れることになってしまった主人公。彼は、おじいさんから去り際に秘密を教えてあげると言われる。
主人公とおじいさんとの間にある心のつながりの強さを感じることのできる作品。私はどちらかというと、祖父母とどこか他人行儀のような関係性だったので、二人の間にある親密な空気感が素直に羨ましかった。
■ 作品全体の所感【カフェに代えて】
村上春樹さんは、あとがきにおいて本作に綴られた6つの物語を、少年や少女の無垢さ=イノセンスがテーマにされた作品だと言っている。私自身、確かにこの世の中でうまく生きていく上で、無くしてしまった気持ちが綴られているような思いに囚われた。
また年齢を重ねたときに、もう一度読み返して言葉の粒を拾い集めたいと思えた作品。きっと歳月が流れて再読してみると、また今とは異なる見え方や想いが溢れてくるんだろうな。