クワバラナカ

インテリアの仕事をしてます。写真を撮ることと自然を学ぶのが今の趣味です。3人家族のお父さんです。

クワバラナカ

インテリアの仕事をしてます。写真を撮ることと自然を学ぶのが今の趣味です。3人家族のお父さんです。

マガジン

最近の記事

目標というよりどうなりたいか

仕事仲間2人で休日にイベントと家具屋を巡り、帰り際にカフェで「今後どうなりたいか」という話になった。僕は32歳なのだが、今までこの類の質問に胸を張って答えられた試しがない。無論、この時も答えられなかった。だから帰りの電車の中でその答えを考えることにした。 そういえば入社したての時に、当時の上司が5年目標を立てようと言って、1年ごとに計5つの目標をたてる機会があった。その内容はほとんど覚えていないし、ちゃんと考えて書いたけど、数ヶ月ぐらいでそれを見ることはなくなっていた。

    • 今日の列挙 241013

      今まで絵とか服とか空間とかで感動はしたことがなかった。 ストーリーには感動してきた。 だからいいストーリーを作るべきなのかもしれない。 ー ー ー

      • 今日の列挙 241011

        ー 心に余裕がある時、人は感謝ができる。 感謝をしようとすれば、心に余裕が生まれる。 らしい。 ー 緊張する理由がわかった。 相手が大勢でも自分はあまり緊張しない。 味方が多い方が緊張する。 ー 社会のリズムに合わせようとするな。 ー ダボっとした服を着た若者3人がATMの画面を囲うように見て、ガムを噛んでる中央の人間がたくらんだ顔をして操作している。 お母さんに仕送りを送金していると思いたい。 ー 今日外でメダカの餌をあげたらミナミヌマエビという小さなエビを発見できた。 1

        • 植物から教わった使命

          なんだかガジュマルの状態が良くなさそうで、幹を触ったら一部がブヨブヨしていてた。 ネットで検索したらまぁ色々と出てきたんだけど、ここ最近ガジュマルだけじゃなくて色んな植物を観察してきた訳だから、調べるのをそこそこにして、ちゃんと見て触りながら、何をどうすべきか自分で考えて、ガジュマルを救おうと思った。 結果的にはこのように、箸を松葉杖のようにして支えながら、立たせている。 ブヨブヨしていたところをそのままにしていい訳がないと思って、ハサミを入れて開くと、変な匂いはしなかった

        マガジン

        • 日記-仕事,設計の話-
          29本
        • 日記-全て-
          91本
        • 日記-家族の話-
          21本

        記事

          ふと目に留まって不思議な感覚になる事がある。この公園って公道より腰高ぐらい地面が高く、それだけで普段経験してないものを見ている訳で、しかも人がいなかったのと落ち葉が少しあったという2つが重なったことで目がここに動かされたのかもしれない訳だから、貴重な景色だったのかもと思った。

          ふと目に留まって不思議な感覚になる事がある。この公園って公道より腰高ぐらい地面が高く、それだけで普段経験してないものを見ている訳で、しかも人がいなかったのと落ち葉が少しあったという2つが重なったことで目がここに動かされたのかもしれない訳だから、貴重な景色だったのかもと思った。

          感動の到達点を引き上げる

          子どもを保育園に送り届けて、帰ってきて自転車を止めたときに、足下に“ぺちゃんこ”という表現がぴったりな雑草があった。 それが目に留まって写真を撮った。 目に留まる理由というのは色々ある。 「綺麗だなぁ」とか「すごいなあ」とか「うわぁ気持ち悪い」と感じて、視線は動かされる。 この雑草は咄嗟に言葉にするのが難しかった。 強いて言えば「ん?面白いかも」かなぁ。 ぺちゃんこだったから面白いのではない。 その雑草はよく見ると、ぺちゃんこが基本姿勢のように感じた。 雑草に関する本に書いて

          感動の到達点を引き上げる

          +5

          2024年8月5日の写真

          2024年8月5日の写真

          +4
          +23

          2024年7月の写真

          +22

          熱い内に打っちゃだめなこと

          「価値観が違う」と感じる瞬間というのは、仕事でも家族でも友達でも不意に起こり得る。 この問題を相互の価値の理解で乗り越えるというのは可能だと思うが、難しい話だ。 何故なら「価値観が違う」と感じる瞬間というのは、飛び出し注意の看板の如く、言霊というボールと共に急に飛び出してくるからだ。 そういう時にも冷静にハンドルを切るなりブレーキ踏むなりして対処したいというのが今回の話である。 遠くから徐々にやってきてくれるんだったら、こちらも準備ができるのだが、急に姿を表すとハンドルを切る

          熱い内に打っちゃだめなこと

          承認欲求は砕けない

          最近、膝に水が溜まるように承認欲求が膨らんでしまっている。 YouTubeでその対処の仕方を調べようと思ったのだが、こういう「明確な答えがない問いは自分で考えた方がいい」と何かの本で読んだことを思いだし、日記を通してどうしていこうか考えることにした。 まず、この承認欲求というのは強大な敵である。 倒す、つまりはこの気持ちを満たそうとすると、SNSの投稿が赤ちゃんの写真でいっぱいになることだろう。 それで「いいね」という果実がある程度実ったとしても、有名人の畑を見る度に歴然と

          承認欲求は砕けない

          今日

          とある日、子どもを保育園に送る途中、自転車に乗りながら「おぉ、美し」と感じた花のついた木があった。 深緑の左官壁の建物に覆われていたことで、その木の美しさが際立っていた。 今日、別の場所で同じ木を発見して、近寄ってiPhoneで撮影し、種類を画像検索した。 「百日紅(サルスベリ)」であった。 ー 20時過ぎ、母からLINEがきて、奥さんに事情を伝えて、バタバタと外に出て自転車にまたがった。 おじいちゃんの意識が途絶えそうだという連絡であった。 おじいちゃんは余命宣

          「ぼく」か「俺」か

          自分のことをなんて呼ぶか迷うことがある。 仕事では相手によって「自分」とか「僕」とか「私」にしたりする。 日記は何となく「僕」にしているけど、好きな日記を書く人はひらがなで「ぼく」と書いている。 統一していない状態はよくないので、とりあえず今日から「ぼく」にしようかな。 因みに1番自然に言葉として出る一人称は、実は「俺」だ。 だから日記も「俺」の方がいいんじゃないかって思うことがある。 でも「俺」にした内容を読み返すと鼻につくことが多い。 実験的にあえて一人称を「俺」して、

          「ぼく」か「俺」か

          一日で書き切る

          日記が一日で書けない。 でも今回のこの内容は今日から書き始めて、今日書き切る。そう決めた。 いつもいい題材が思い浮かんで、書き始めたら日をまたいでしまう。 それが数日で済むこともあれば、一週間以上経ってしまうこともある。 それがズルズル引き伸ばされて、一回やめてしまって、最近また始めた。 そして思った、その日中に書かなきゃ日記じゃないじゃんって。 日記じゃないものとして割り切って、何日もかけて書くべきか。 いや、そういうものを書くのは悪くない。 でもそれは日記ではない。随

          一日で書き切る

          意味深げな写真で怖がらせないために

          「これを明日以降もまた見返したい?」という質問を自分に投げかけながら今日の写真を選んだらこれが残った。 ↑この内容をInstagramにあげたところ、友人から「なんか怖い」と言われた。 正直、ムッとしてしまったのだが、この苛立ちの原因と、今後どうしていくべきか、このままでいいのか考えてみようと思う。 まず苛立ちの原因から考えると、この写真を生み出した自分の気持ちと、受け手の気持ちが繋がらなかったという悔しさからなのかもしれない。 (因みに冷静になった今、苛立ちは当然無く、

          意味深げな写真で怖がらせないために

          いいものが作れているか確認する

          帰宅途中、駅のホームでふと広告のマンガ絵に目が留まった。 別に下手な訳でもなかったのだが、この描き手は楽しい気持ちで描けたのかと考えてしまった。 あまりに忙しいと、なんでも効率よく捌くことに意識が向いてしまう。 そんな描き手の気持ちが薄ら感じられた。 モヤモヤ考えている内に、あれ、俺はちゃんといいものが作れているのか、と思った。 よし、文章化して気持ちを整理しておこう。 例えば今まで書いてきた日記を振り返って、本当にこの内容がいいと思って投稿できているかと自分に問うと、見事

          いいものが作れているか確認する

          子供と遊んで知ること

          子供がブロックで遊んでいる。 ブロックで遊んでいるといっても、ブロック同士をぶつけて音を出したり、ブロック専用の透明の箱を噛みながら透明の箱越しの世界をみたりして、ブロック本来の遊び方とは違うことをしている。 説明書がふと目に入り、 「大人がお手本を見せてあげて下さい。」 と書いてあり、まぁ読まなくてもやっていたとは思うが、電車と象さんを足して二で割ったようなものを作って渡してみた。 すると子供はそれを少し眺めた後にばらして、さらにブロック一つ一つになるよう丁寧にはずして

          子供と遊んで知ること