承認欲求は砕けない
最近、膝に水が溜まるように承認欲求が膨らんでしまっている。
YouTubeでその対処の仕方を調べようと思ったのだが、こういう「明確な答えがない問いは自分で考えた方がいい」と何かの本で読んだことを思いだし、日記を通してどうしていこうか考えることにした。
まず、この承認欲求というのは強大な敵である。
倒す、つまりはこの気持ちを満たそうとすると、SNSの投稿が赤ちゃんの写真でいっぱいになることだろう。
それで「いいね」という果実がある程度実ったとしても、有名人の畑を見る度に歴然とした差に嫉妬を繰り返し、自分が大きくなろうとした分、敵も比例的に大きくなっていくのだ。
この無敵そうな承認欲求を対処するにはどうすべきか、同じく無敵を相手にしたジョジョ第2部戦闘潮流のクライマックスに答えがのっている。
その答えとは「逃ーげるんだよー」。
つまり敵前逃亡だ。
承認欲求が"最近"膨らんだと書いたが、原因は明らかで、インスタグラムだ。
「いいね欲しさにやるんじゃあない、振り返りたいと思うスナップ写真を記録といて残していくんだ。」
という誓いをたててから、クラウド上に封印していたインスタを解禁し、
投稿を重ねていたのだが、何をどうやっても「いいね」の数を気にしてしまう。
これは本能だからどうしようもないと悟った。今。
だから倒そうとしないで逃げるしかないんだ。
「いいねなんか気にしない気にしない!
他人の畑と比べない!
絶対感で生きる、そうですよね岡本太郎さん!」
そう心に何度も言い聞かしても無理なものは無理だった。
岡本太郎の毒を秘めた本を、抗体として常に肌身話さず聖書のように持っていればいけるかもしれないけど、そういう訳にはいかない。
だからインスタグラムを消すっきゃないのだ。
でも今まさに投稿しようとしているnoteはいいのか。
確かにいいねがつくと嬉しいが、無くてもそんなに気にならないのは不思議だ。
多分、俺にとってnoteはインスタと違って、重みがあるからなんじゃないかなって思った。
投稿するには、ちゃんと構成とか考えなくちゃならないし、添削作業もあるし、写真を載せるんだったらレタッチもしなくちゃならない。
だからこそ投稿ボタンを押すときに、「よし」と達成感を感じられる。
そうか、この達成感がnoteとインスタの違いなのか。
まぁ今日はこの辺にしよう。
インスタをクラウドどころか宇宙空間まで打ち上げ捨てて、もう誰に認められたいとか考えるのをやめにしよう。
今日とか昨日の写真↓
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