意味深げな写真で怖がらせないために
「これを明日以降もまた見返したい?」という質問を自分に投げかけながら今日の写真を選んだらこれが残った。
↑この内容をInstagramにあげたところ、友人から「なんか怖い」と言われた。
正直、ムッとしてしまったのだが、この苛立ちの原因と、今後どうしていくべきか、このままでいいのか考えてみようと思う。
まず苛立ちの原因から考えると、この写真を生み出した自分の気持ちと、受け手の気持ちが繋がらなかったという悔しさからなのかもしれない。
(因みに冷静になった今、苛立ちは当然無く、むしろ正直な感想を言ってくれた友人に対し、苛立ってしまって申し訳ないという気持ちしかない)
とある写真家の本に、写真だけで全てを伝えるのは、基本的に無理だと書いてあった。
それは確かにそうだと思う。
例えば自分がミニモニ。のメンバーだとして、「じゃんけんぴょん!」という若々しく元気に歌ってほしいであろう曲が提供されて、ライブで初めて作曲家の前で歌って踊ったら、ライブ後に「ジョジョに出てくるじゃんけん小僧の戦い見たことある?あれぐらい生死をかける感じで本気でじゃんけんやって勝つつもりで歌ってもらわないと困る」と言われて怒られるのと同じことが起きている。
「じゃあ最初からそう言ってよ!」と思うだろう。
つまり、今回写真に足りなかったのは添える言葉なのだ。
情報が少ない中でこの写真を見た時、確かに薄ら怖さを感じる。
これを投稿時に受け手の感じ方を考えることができなかった。
じゃあ何を感じて欲しかったのか。
それは「この木を均等に並べた人は何を考えてるんだろう」という興味から来た面白さを誰かに共有したかったのだ。
何か壮大な思い、環境問題のこととか、奥が深いことを訴えたい訳ではないのだ。
何故これを撮ったのかを素直に書く。
だから写真と睨めっこしながら、考えて書くのではなさそうだ。
撮った時の気持ちや考えをしっかり言葉で表す。
あまり深く考えすぎずに、写真を撮った時の正直な気持ちを、しっかりと相手に伝わるように、これからは言葉を紡ごうと思う。
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