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目標というよりどうなりたいか

仕事仲間2人で休日にイベントと家具屋を巡り、帰り際にカフェで「今後どうなりたいか」という話になった。僕は32歳なのだが、今までこの類の質問に胸を張って答えられた試しがない。無論、この時も答えられなかった。だから帰りの電車の中でその答えを考えることにした。

そういえば入社したての時に、当時の上司が5年目標を立てようと言って、1年ごとに計5つの目標をたてる機会があった。その内容はほとんど覚えていないし、ちゃんと考えて書いたけど、数ヶ月ぐらいでそれを見ることはなくなっていた。

目標を考えるのが苦手だ。だって途中で気持ちが変わるかもしれないじゃないか。例えば今の立場から一段上がってチーム長になりたいとその時は思っても、数日後にはやっぱり大変そうだからいいやって思うかもしれない。でも「どうなりたいか」という質問の答えを考えるのは、目標を考えるのと違う気がした。何故なら目標を立てたいとは思わないものの、現状から変わりたいとは思っているからだ。変わりたいのであれば、「どうなりたいの?どう変わりたいの?」という質問に対する答えの準備はしておくべきだ。

正直、変化だったら何でもいいと思ってしまう。フォークでもカーブでも何でもいいからとりあえず強烈に曲がる球を投げられるようになりたいと思う。仮に「転職してみる?」という質問を自分に投げかけてみると、「転職したいと思えるような分野がない」という答えがすぐに出る。じゃあ仕事は変えずに変化をしたいってことになる訳で、今は奥さんと子供もいて、引っ越しがいいかもしれないが、そんな変化でいいのだろうか。そんな訳ない。質問を忘れてはならない。「どうなりたいか?」だ。どこにいたいかではない。居場所を変えたところで、どのみち同じ質問がいずれまた自分の前に登場することになるだろう。書きながら頭の中で、これかな?と思う答えが浮かんだ。

ぼくはもう少し仕事を好きになるべきなのかもしれない。

今の仕事とはインテリア関係である。具体的にいうとオフィス空間の内装設計なのだが、「インテリア」として広義にしておこう。急だが、ここで少し雑草の話をしておきたい。雑草と呼ばれる植物はジャングルだと他の強い植物に競争に負けて生きていけないらしい。だから誰もいないようなアスファルトの隙間なんかにきて、環境に合わせるように葉や花の大きさ、茎の長さを変えたりして適応させるようだ。この雑草の特性を知った時に、自分と少し重なるところがあった。好きこそ物の上手なれという言葉があるが、この業界に入った時に、インテリアが本当に好きでその好きな気持ちをそのまま仕事の力に変換できているような人に圧倒されてしまう経験をした。そしてぼくはインテリアの力(いい空間を作る力)で勝負したら、周りのグングン幹を伸ばす人達には勝てないと踏んで、その分野から遠ざかり自分だけが生き残れるアスファルトの隙間を求めた。絵画とか脳みその仕組みとか、インテリアと関係なさそうな内容から、役立ちそうな知識を引っ張り出そうとした。その効果はある程度あったと思っているのだが、ただずっとそうしている内に、そもそもインテリアが好きだという気持ちを塞いでいたように思う。

ぼくはインテリアが好きなんだ。

小学生の頃、お母さんと一緒に家具とか生活雑貨のお店に入る時の自分の高揚感を忘れてはならない。ペンダントライトだってラグだって家具だってなんだって、自分の部屋で好き勝手やりたい気持ちが書きながらなんだか生まれてきた。それと今気づきが一つあって、好きな気持ちが膨れ上がったのなら専門書ではなくて実物を買うべきだ。植物に興味が出て植物の本を買ってしまいがちなのは悪い癖だ。まずはそのものを買うべきなんだ。インテリアの雑誌に興味が湧かないのは、そもそも雑誌という媒体が自分に合っていないだけなのかもしれない。心を打たれた家具を置き、好きだと思える空間に実際にしてみる経験が必要だと感じる。自分の部屋でも仕事でもインテリアを楽しむことが果たせた自分が「どうなりたいのか」の答えなんだと今は思う。

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