スタートアップ・コーポレート(大木大地)

ベンチャー企業のコーポレート・管理部門のハンズオン立ち上げ&立て直しを得意分野にしています。

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1982年生まれ。自慢もない人の30代後半~40代現在。

以前のポストから、私自身にどのような変化があったのかをまとめてみます。 スタートアップ・コーポレートへの転身起業の反省と得た学び 他のポストでも触れていますが、起業した会社を辞めました(2018年)。少し時も経ったので今なら冷静に言えますが、私の力不足でした。事業的な話で言えばマーケ面で劣っていたところであるし、組織的な話で言えば私のメッセージ不足でした。 チャレンジしなければ得られない経験や教訓なども数多くあり、それは現在の私の生業にも繋がっています。 ターニングポ

    • 弟の人生

      私の弟は、2023年に自◯しました。私からすると、幼少期を共有する唯一の存在でした。 今回は弟の人生について、私目線から触れてみます。 幼少期誕生 1985年に生まれました。私とは3歳違いでした。 祖母との生活 私たちの両親の結婚生活は長く続かず、1987年に離婚。私たち兄弟は父親権のもとで育つことになりました。 別ポストにも書きましたが、弟と祖母の関係は険悪なものでした。 仕事20代 弟は、喫茶店等でアルバイトをしていました。その後は飲食店機器のメンテナンス

      • 弟のこと

        私の弟は、2023年に自◯しました。私からすると、幼少期を共有する唯一の存在でした。 色々と思うところ、私たち兄弟の家庭環境が無関係とは言い切れないと感じていまして、今回は私たち兄弟の幼少期について触れてみます。 両親の離婚兄弟の誕生 私たちは、ふたり兄弟です。兄である私が1982年に、弟が1985年にそれぞれ生まれました。 離婚 私たちの両親の結婚生活は長く続かず、1987年に離婚。私たち兄弟は父親権のもとで育つことになりました。 後述する父方の祖母との生活が始

        • 1982年生まれ。自慢もない人の30代後半の頃。

          スタートアップの経営者としてスタートアップの経営 僕が35歳を迎えた年(2017年)、結婚して6年、住宅ローンを借り始めて3年、長男が4歳、次男が2歳。そして、スタートアップ企業(カウ株式会社)経営の真っ只中にいました。 2017年7月にスマートフォンアプリ「COW」をリリースしましたが、その頃には設立時資本金1000万円は開発費用などに費やされていて、1000万円増資しています(2017年5月)。ほとんどを設立時に出資頂いた投資家の方に引受けて頂きました。このあたりか

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        • 1982年生まれ。自慢もない人の自己紹介
          8本

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          1982年生まれ。自慢もない人の30代前半の頃。

          会社が買収される20代後半~30代始めにかけて、サラリーマン生活をしていたことはメリットのあることでした。僕としては、プロジェクトマネジメントも出来たし、課員マネジメントなども出来たので、経験値は上がりましたが、勤めていた会社も色々ありました。マーケットが縮小する中で、リアルなリストラも見ましたし、そういった中で会社がDMMグループに買収されるということもありました。 元は前職がヤバくて拾って頂いたようなものですし、思い入れもあったのですが、業績も頭打ちでポジションも上が

          1982年生まれ。自慢もない人の30代前半の頃。

          1982年生まれ。自慢もない人の20代後半の頃。

          知人の誘い会社役員になる 2008年4月、25歳になっていた僕は、ある会社(株式会社ID)の経営に関与することになりました。この会社は、ITコンテンツのPR業務を前提とした企業でした。 結論 この会社を辞める2010年3月までの2年間は、かなり厳しい時代でした。地獄でした。まず、誘って頂いた知人が精神を病むなどのアクシデントがあり、このままだと共倒れになるんだなと思いました。先が見えない時を過ごし、コンビニでバイトして繋いだ時期もあります。ぶっちゃけ、こっちも病んだ。

          1982年生まれ。自慢もない人の20代後半の頃。

          カウ株式会社について

          僕が2016年に共同創業した(現在は退任)、カウ株式会社について、簡単にまとめておきたいと思います。 会社概要僕は、発起人として創業時より代表取締役に就任し、2018年12月に退任しています(取締役としても残らない)。退任時に持株を他の取締役へ譲渡しています。 現在も存在している法人です。2019年に移転しています(登記上は東京都中央区)。直近の業績は、僕にもわかりません。 事業概要越境型応援プラットフォーム(スマホアプリ)「COW(カウ)」の提供。 開発途上国のBO

          1982年生まれ。自慢もない人の20代前半の頃。

          ゲーム会社での仕事大学1年の冬、2002年2月に就職した僕は、それこそがむしゃらに仕事をしました。 広報PRの仕事 当時は、コンピューターゲームの専門誌が多数出版されていた時代です。出版社・編集部との交渉の末(具体的には飲み)、取扱いゲームメーカーの大特集や別冊出版などに、何度かこぎ着けることが出来ました。作家さん・イラストレーターさんのインタビューやイラストの段取りも、広報部門の仕事です。クリエーターさんは、表現を大切にしますので、誌面上の取扱いに齟齬が無いかをチェッ

          1982年生まれ。自慢もない人の20代前半の頃。

          1982年生まれ。自慢もない人の10代の頃。2

          アルバイトPCショップT-ZONE 大学へ進学した僕は、秋葉原のパソコンショップでアルバイトを始めました。今は懐かしPCショップの「T-ZONE」です。趣味と実益を兼ねたバイトであり、お金が貯れば一人暮らしが出来るなと考えていました。 PDAとの出会い バイト先で配属されたのは、PDA売場です。Personal Digital Assistant、ミニパソコンとも呼ばれた端末群は、今のスマホの原型的なものですが、当時はニッチなITガジェットでした。ParmやiPAQ、

          1982年生まれ。自慢もない人の10代の頃。2

          1982年生まれ。自慢もない人の10代の頃。1

          このポストのきっかけ自己紹介とか職務経歴などをお話し差し上げていると、「大木さんの経歴は色々あるけど、あんまり上手く説明出来てないですよね。自己PR上手くやってる人のポストとか読んで勉強してください。」みたいなことを言われます。 それで、noteを集中的に見始めて、色々な方が様々な考え方で書いてるよなって思いまして。そこで触発されまして、noteを書いてみようかなと。これで自己PRが上手くなるのかはわかりませんが、とりあえず誰かに見られているという意識を持ってやっていきた

          1982年生まれ。自慢もない人の10代の頃。1