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私の弟は、2023年に自◯しました。私からすると、幼少期を共有する唯一の存在でした。

色々と思うところ、私たち兄弟の家庭環境が無関係とは言い切れないと感じていまして、今回は私たち兄弟の幼少期について触れてみます。



両親の離婚

兄弟の誕生

私たちは、ふたり兄弟です。兄である私が1982年に、弟が1985年にそれぞれ生まれました。

離婚

私たちの両親の結婚生活は長く続かず、1987年に離婚。私たち兄弟は父親権のもとで育つことになりました。

後述する父方の祖母との生活が始まりました。


祖母との生活

祖母の人間性

祖母に育てて貰った事実はあるし、既に故人である人を悪く言うのは私が間違いかもしれませんが、祖母は人間性に問題のある人であったと思っています。

祖母は、他人の価値観を受け容れることの出来ない人でした。このことは、嫁の立場であった私の母や母の実家との不仲を招いたほか、同じく嫁という立場であった伯母とも疎遠となる原因でした。

私たちについては、「孫を引き取り育てる素晴らしいおばあちゃん」という聖人像を対外的に纏う一方で、自身が常に不幸を被っていると思い込み、その原因を家族に求めるような、歪んだ人格を持った人でした。

私と祖母の関係性

私は子どもながらに、祖母の理不尽な言動の対象でした。

私に母の面影があることを罵った(私の歩き方、箸の持ち方、爪の形、等々が私の母に似ていたのが嫌だったそうです)。

「親が離婚したお前たちが生きられるのは私がいるおかげだ。嫌だったら家を出ていけば良い」と何かにつけ聞かされる。

私物を勝手に処分される(学校から帰宅するとレイアウトが変わっており、物品が消えていることが多々ありました)。

祖母の理不尽な言動の一部

私と母は実の親子なのだから似ているところもあるし、私にはどうしようも無いことでした。そして、自分の母親のことを罵倒されるのは辛かったですね。

そして、私が中受を失敗したことで、祖母の歪んだ世界は弟へ向かっていったと思います。

祖母と弟の関係性

両親の離婚時に物心がついていた私とは異なり、弟は当時2-3歳と幼く、母親の面影は無かったと思います。

祖母は、私には、弟にはという「施策」を採りました。これは当初は無難なものでしたが、思春期になった弟はやがて反抗的になり、祖母の「施策」は崩壊していきました。

弟へのコントロールを喪った祖母は、私にはいくらか緩やかになりましたが、私の10代半ばの最大の懸念は、祖母と弟の険悪な関係でした。

弟は、祖母の歪んだ世界観のもとで育てられたことを恨んでいたと思います。

最晩年の祖母は施設や病院で過ごして生涯を閉じますが、弟が祖母を見舞うことはありませんでした。


父と弟の関係性

特に弟が成人してからは、お互いに腹を割れる関係性では無かったように感じられました。

いくつかの具体的な事由もありましたが、ちょっとこちらでは伏せます。

父と弟が直接やり取りすることは次第に無くなり、私が間に入ることが多くなっていました。


現在の心境

家族とは何か?

私は結婚するまでは、家族や家庭がどのようなものであるのかとか、まともにイメージすることが出来ませんでした

妻には大いに助けて貰って家族をしていますので、とても感謝しています

弟は生涯独身でした。弟が家族について、どのようなイメージを持っていたのかを直接聞くことはありませんでしたが、遠い存在であったのかもしれません

弟が自◯した理由

弟が自◯した理由については、別途触れたいと思います。

ただ、自◯という悲劇的結末までにはグラデーションもあったと私は感じていて、そこには弟にとっての帰るべき家族頼れる家族というものが無かったのかもしれないなと思っています。

まとめ

これまで、私や弟がどのような家庭環境で育ってきたのかを文章にしたことは無かったし、誰かに話したこともありませんでした。

基本的に口外するつもりは無かったのですが、弟の自◯という事態に接し、触れておきたいと思った次第です。

ここまでお読みくださった方に感謝いたします。



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