1982年生まれ。自慢もない人の10代の頃。1
このポストのきっかけ
自己紹介とか職務経歴などをお話し差し上げていると、「大木さんの経歴は色々あるけど、あんまり上手く説明出来てないですよね。自己PR上手くやってる人のポストとか読んで勉強してください。」みたいなことを言われます。
それで、noteを集中的に見始めて、色々な方が様々な考え方で書いてるよなって思いまして。そこで触発されまして、noteを書いてみようかなと。これで自己PRが上手くなるのかはわかりませんが、とりあえず誰かに見られているという意識を持ってやっていきたいと考えます。
簡単なプロフィール
1982年生まれですね。同い年で最も尊敬するのは、北島康介氏。一方、昔「キレる17歳」と呼ばれる時代がありましたが、まさにドンピシャの世代です。ですが、私は、金メダルも無いし、キレても無い。
そんな普通だったはずの私の10代について、少しまとめてみたいと思います。
10代の挫折と出会い
挫折
僕は、10代前半で挫折をしています。
私立中学の受験失敗です。
偏差値60半ばの学校に受かりませんでした。
今になって振り返ると、少し志望校偏差値を下げても良かったんじゃないかと思うんですけどね。今は自分も親になったので色々考えるところもあるのですが、なぜ中学受験をするのか、そしてどんな人生へと進みたいのかを僕も親も考えてなかったと思います。甘かったですね。
習っていたピアノも辞めて、毎日塾に通ったのに、中学に受からなかった。通いたくなかった地元の公立中学にモチベーションも無く通う日々。テストの点数さえ取れていれば良いと、高をくくっていて、宿題とか無視していたら、内申点が最悪なことに。
出会い
ただ、中学生で今にもつながる出会いもありました。
・親友(悪友)
・パソコン
・インターネット
今でもくだらない下ネタで盛り上がれる親友。非リア充だったので、誰も結婚しないかと思っていたら、僕が一番先に結婚してしまった。
パソコンとインターネットは、健全な男子をオタクにするには充分すぎる環境でした。
どうにか並の高校に受かった僕は、黎明期のインターネットへとどっぷりと浸かります。あるインターネットサイトと掲示板を運営し、別冊宝島や週刊誌の取材を受けたりしていました。
大学進学
日本大学法学部へ進学。
法曹関係とか目指していた訳ではなく、とりあえず受かれるレベルの大学に入りました。インターネットサイトの運営で、フリーライターの方と知己を得ていた僕は、そういう世界で生きていくのも格好良いなと思っていたので、受験勉強よりもフリーランスで食べる方法とかそういうHowto本を読んでいたと思います。
そして、大学進学後に人生の決断を下します。
これはまた後日にしたいと思います。
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