弟の人生
私の弟は、2023年に自◯しました。私からすると、幼少期を共有する唯一の存在でした。
今回は弟の人生について、私目線から触れてみます。
幼少期
誕生
1985年に生まれました。私とは3歳違いでした。
祖母との生活
私たちの両親の結婚生活は長く続かず、1987年に離婚。私たち兄弟は父親権のもとで育つことになりました。
別ポストにも書きましたが、弟と祖母の関係は険悪なものでした。
仕事
20代
弟は、喫茶店等でアルバイトをしていました。その後は飲食店機器のメンテナンス企業での勤務をしていましたが、顧客対応で深夜勤務もしていたと思います。
30代
30歳前後からは、中古車販売店での勤務をきっかけに自動車業界に興味を持つようになり、自動車工場の期間従業員として各地を点々としていました(群馬、愛知、静岡、三重)。
住まい
愛知県知立市
都内で育ち、20代前半に一時期京都で生活。その後は実家へ戻るが、期間工への就業に伴い群馬へ引越していきました。
さらに実家へ戻るが、次第に父との折り合いが悪くなり、就業と共に愛知県知立市へ引越します。
三重県鈴鹿市
弟の最終勤務地は、三重県鈴鹿市の自動車工場でしたが、勤務先のほど近くの借り上げ社宅を住まいとしていました。
知立のアパートを借り続けたまま就業先の社宅住まいをしていましたが、その理由は、期間工契約の終了で社宅を引き払うと住所不定となってしまうからだと、弟から聞いたことがありました。
家族との関係
父
折り合いは悪かったです。けれども父からすれば、独り立ちさせたいという気持ちでもあったと思われます。
弟は数年、実家には寄り付いてはいませんでした。
母
離婚後は離れて暮らしていたが、最近は良くしてくれていたようです。年に数回は食事に行ったりしていたそう。最後の職場の保証人になってくれていました。
私と母は、約30年ほどやり取りがありませんでした。以前に弟が私の連絡先を母へ伝えていたそうで、今回の弟の件があり関係が復活することになりました。
私
年に2度(正月と夏)は会っていました。私の家へ訪れては、私の子どもたちにプレゼントやお年玉をくれる等、優しい叔父さんでした。
私が弟に直接会ったのは、2023年の正月が最後でした。その後、LINEにてやり取りをした際、「ぼちぼち中京での生活を終わりにして、関東へ戻りたい。(中略)新しい仕事を探したい。」と言っていました。
2023年4月の他愛のないやり取りが最後となりました。
性格
律儀
律儀な性格だったと思います。何かある度に私へ連絡を入れてくれたり、私の子どもの誕生日にプレゼントを贈ってくれたりと気遣いのある人でした。
失踪後に鈴鹿や知立の部屋へ立ち入ったのですが、多少散らかってはいたものの、食べかけや飲みかけのゴミは片付けられていました。
孤独感
片付けで見つけた職場のストレスチェック結果によると、ストレスがあったようです。
家庭環境の問題や転々としていた職場関係から、孤独感が強かったのかもしれません。
弟の最期
私が弟の失踪を知った経緯
2023年5月半ば頃であったと思いますが、警察からの捜査協力で知ることになりました。ある事件の被疑者になっているが、その後行方不明となっていて、兄である私が何か知らないか、ということでした。
私も何もわからず、ここで弟の失踪を知りました。
弟の足取り
弟は、鈴鹿の社宅や知立のアパートへ戻った形跡はありませんでした。勤務先の総務の方の話によると、4.27が勤務で、4.28が有休、5.8に出勤せず以降無断欠勤。 それまでは欠勤はほとんどしていなかった模様。
弟の発見
2023年9月、静岡県御殿場の山中にて自◯体となっているのが発見されました。解剖の結果、死因は縊死、死亡推定時期は2023年5月頃ということでした。
その後
退職手続き
まだ弟の発見前のことですが、期間工契約の満了で退職ということになりました。事細かくご対応いただけました。
お気遣いには感謝しています。
部屋の片付け
退職に伴って鈴鹿の社宅から引き上げる必要があり、私が現地を訪れて部屋の片付けをしました。流石に一人では難しく、現地の便利屋さんに手伝っていただきました。
知立のアパートを借り続けるかは悩みましたが、家賃の精算などが絡んでくるため、弟が行方不明中でしたが引き上げました。こちらも現地の便利屋さんに手伝っていただきました。
鈴鹿にしても知立にしても、以前に私が訪れてはいなかったため、部屋の片付けを通して、弟の生きてきた様子を見ることが出来ました。複雑な心境でしたが、それは良かったと思います。
遺骨の取扱い
時間の経過した自◯体で発見されましたので、直接の対面は叶いませんでした。地元警察から引き取って火葬を行った後、遺骨を3つに分骨しました。1つは海洋散骨し、1つは母が埋葬、1つは私が保管しています。
海洋散骨を選択した理由は、生前の祖母や父との関係を踏まえて、死後もしがらみが無いようにと考えたからです。2024年1月に、神奈川県沖で散骨しました。
相続放棄
大きな負債は無いように見受けられ、いくらかの暗号資産がありました。私も両親も遺産を目的とはしなかったため、司法書士へ依頼をして相続放棄手続きを行いました。
まとめ
やり取りすることなく弟は旅立ちましたので、最期の本人がどんな心境であったのかはわかりません。被疑者となった事件についても、どのような経緯があったのかは私にはわかりません。弟が生きて見解を述べてくれれば、家族としても出来ることが変わっていただろうと思います。
そして、私も精神的な不調があったりと途中は辛いことも多かったですが、周りの方々の助けを借りてここまで辿り着くことが出来ました。感謝しかありません。
これからも、こうして弟のことを思い巡らせること、弟のことを忘れずにいたいと思っています。
今回は弟の人生について、私目線から触れてみました。
ここまでお読みくださった方に感謝いたします。
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