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1982年生まれ。自慢もない人の20代後半の頃。



知人の誘い

会社役員になる

2008年4月、25歳になっていた僕は、ある会社(株式会社ID)の経営に関与することになりました。この会社は、ITコンテンツのPR業務を前提とした企業でした。

結論

この会社を辞める2010年3月までの2年間は、かなり厳しい時代でした。地獄でした。まず、誘って頂いた知人が精神を病むなどのアクシデントがあり、このままだと共倒れになるんだなと思いました。先が見えない時を過ごし、コンビニでバイトして繋いだ時期もあります。ぶっちゃけ、こっちも病んだ。夜も眠れず、円形脱毛も出来た。

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レンタルオフィスの執務スペース

この時期は彼女も居なかったですね。もし誰かと付き合っていたら、辛く当たったり、甘えたりして、きっと迷惑をかけていたと思います。ただ、ひとり限界と向かい合うことは、図らずとも出来た時期だったと思います。


脱出

転職

2010年4月、「ホビボックス株式会社」へ転職。

株式会社IDの窮状を知っていた担当者とその上司の方から、温かいお誘いを受け、生活を立て直すためにJOIN。ゲーム業界へ本格復帰となりました。ホビボックス社は、コンピューターゲームソフトの卸売を主な事業とする企業で、ゲームの制作方法を知っている私は、結構タフなプロジェクトに駆り出されることも多くありました。

具体的には、同業他社が見放すような不良プロジェクト等で、既に制作現場が崩壊していたり、資金繰りがショートないしその寸前であるようなプロジェクトです。その場合、私は現場へ赴き、現場スタッフの意見(一方的な見解を含みます)を聞いた後、自社へ戻って現実的なロードマップと予算計画を立て、現場がどうにか死なないレベルの落とし所を自社経営陣とコミットします。そして実行します。億単位の予算が埋没しかねないプロジェクトをリリースにまでこぎ着けた時の感動は、忘れもしません。

充実した生活

ホビボックス社には、2014年末まで居ましたが、2011年に結婚、2013年に第一子誕生、2014年に新居建設と、ライフイベントが次々と起こる時期でもありました。マーケットとしては斜陽ではありましたが、安定したサラリーマンライフを送らせて頂いたので、非常に感謝しています。

そして、2015年1月。32歳になっていた僕は、スタートアップへと足を踏み入れることになります。ここから先は、また改めて。



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