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ドレミファ・トランプ 第一話 四月八日(3)

 死のう。
 大愛は、ずっと開けてなかった勉強机の引き出しを歯と舌を使って何とか開き、黄色い柄の鋏を見つけ、舌に絡めて口で取る。
 小学生の頃は折り紙を切ったり、夏休みの自由研究に使ったり、新しいピアノの楽譜を買って封を切るのにと使った鋏。
 まさか最後に自分の命を切る為に使うなんて……。
 大愛は、口に咥えた鋏を見る。
 暗い部屋の中、固く閉じたカーテンの隙間から漏れる光に鈍く反射する閉じられた二つの刃。
 さあ、どうなって死のう?
 口で咥えたままでは流石に使えない。
 身体は、柔らかい方だけどあの事故からまったく動かしてないからびっくりするほど固い。例え柔らかいままだったとしても流石に咥えた鋏で首筋やお腹は刺せない。刺せたとしても力が入らない。
(どうしようかな?)
 そう考えていた大愛の目にピアノが入り込む。
 散々、大愛には痛めつけられ傷ついたピアノが。
(あっそうだ)
 大愛は、閃く。
 ピアノの蓋で鋏を固定して突っ込めばいいんだ。
 扉を体当たりで開ける力はあるんだ。
 ピアノに固定した鋏に突っ込んで死ぬくらい出来るはず。
 そう思った大愛は口に鋏を咥えたまま両腕を失ってから初めて痛めつける以外の目的でピアノに近寄る。
 心なしかピアノが怯えているように見える。
(良かったね。私に復讐出来るよ)
 大愛は、鋏を口に咥えたまま自虐的に笑う。
 さて、どうやってセットしようか?
 流石に口では重くてピアノの蓋は開けられない。
(足で……開けるしかないか)
 あれだけ蹴り付けておきながらいざ、足でピアノを弄ろうとするのは罪悪感が感じる。
 しかし、直ぐにそんなのはどうでもいい。これが最後なのだからと思い直し、セット方法を考える。
(まず座ろう……)
 大愛は、足の指でピアノの椅子を掴み、ゆっくりと引っ張る。
 背もたれのない椅子は音を立てずにゆっくりと動き、大愛はある程度間隔が空いたのを確認してから小さなお尻を椅子に落とす。
 椅子は随分と低くなっていた。
 ご飯なんてほとんど食べてないのに身体は大きくなり、足も伸びていたらしい。
 ちょっと前までは早く大きくなりたい、憧れのピアニスト達のように綺麗になりたいと思っていたのに今はその成長が煩わしい。どんなに身体が大きくなったて、身長が伸びたってもう意味はないのだ。
 早く死のう。
 大愛は、足を伸ばしてピアノの蓋の縁をぎゅっと掴み、ゆっくりと上げる。
 赤い敷布に覆われた鍵盤が二ヶ月ぶりに姿を見せる。
 それを見ただけで……涙が出そうになる。
 大愛は、足の指で赤い敷布を半分捲る。
 もう片方の足を持ち上げて、親指を立てて鍵盤を押す。

 ド
 レ
 ミ
 ファ
 ソ
 ラ
 シ
 ド

 調律なんてほとんどしてないのに音はとても澄んでいて大愛の心を打つ。
 大愛の頬を波が伝う。
 口元が緩み、鋏が床に落ちる。
 大愛は、震える呼吸を整え、床に落ちた鋏を右足の指で掴み、持ち上げ……驚く。
「私……」
 物が掴める?
 大愛は、目を大きく見開き、ピアノの鍵盤に……中途半端に捲れ上がった赤い敷布を見る。
 鋏を床に置き、足を持ち上げて赤い敷布の端を足指で掴み、ゆっくりと鍵盤に広げ、包み、剥がす。
 それを何度も繰り返す。
 赤い敷布を剥がし、今度は両足を上げて親指を立てて鍵盤に触れる。

 ド
 ド
 ド
 ミ
 ソ
 ソ
 ソ
 ソ
 ド
 ド
 ド
 ミ
 ソ
 ソ
 ソ

「弾……ける?」
 大愛は、足指で何度も何度も鍵盤を叩く。
 曲なんて口が裂けても言えない、ただただ叩くだけの音の暴走。殴りつけてると言ってもいい。
 でも……それでも……。
 大愛は、身体を揺さぶりながら夢中に鍵盤を叩き、叩き、叩く。
 バランスが崩れ、背もたれのない椅子から転げ落ちる。
 痛い。
 身体が痛い。
 身体が……。
「生きてる」
 大愛は、魂を吐き出すように呟き、天井を見上げる。
「私の身体……生きてるんだ」
 大切な……何よりも大切な両腕を失ったのに……私の身体は生きてる。
 呼吸をしてる。
 天井を見てる。
 痛みを感じる。
 そして……。
 大愛は、両足を上げる。
 長くなった足。
 滑らかな曲線を描く甲。
 小さな踵。
 短いがしなやかに動く足指。
「私……掴めるんだ……叩けるんだ」
 だからといってピアノが弾けるわけではない。
 字が書ける訳でもない。
 箸が持てる訳でもない。
 身体が洗える訳でもない。
 トイレも綺麗に使える訳じゃない。
 一人じゃ何も出来ない。
 それでも……それでも……。
「私……私……」
 ハアッと大きな息が球のように浮かぶ。
 目尻から落ちた涙が床を濡らす。
 高く高く持ち上げた両足が、冷たかったはずの両足に熱が灯る。
「私……私は……」
「大愛!」
 扉が音を立てて開かれ、母親が飛び込んでくる。
 そして地面に転がる大愛を見て小さく悲鳴を上げる。
「ママ……」
「大愛!」
 母親は、青ざめた顔で大愛に駆け寄ろうとする。
「大丈夫」
 大愛は、小さい声で母親を止め、ゆっくりと身体を回転させて身体を起こし、ゆっくりと立ち上がる。
 うんっ……動く……私の身体……まだ動ける。
 大愛は、涙の跡の残る目で母親を見る。
 大愛の目を見た瞬間、母親の身体は震える。
 事故に遭って以降、生気を失い、虚な死体のようであった大愛の目に小さな光が灯っていたから。
 あの頃と同じ……希望の光が。
「ママ……」
 大愛は、涙に濡れた声を絞り出す。
「なあに?大愛?」
 母親は、恐る恐る聞き返す。
「まだ……リハビリって出来るかな?」
 大愛の言葉に母親は瞠目する。
「私……頑張りたい」
 声に熱が灯る。
 枯れ木のように痩せた身体に、足に力が戻る。
「頑張って……頑張って生きてみせる!」
 そう告げる大愛の目は強く、そして希望に満ちていた。

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