ジャノメ食堂へようこそ!第5話 私は・・・(13)
「ナギのおかげで私は生きる目的を持つことが出来ました」
七歳のアケにとって三歳のナギを育てていくのは大変などと言うものではなかった。
同世代の子どもとすらほとんど関わったことがなかったのにいきなり三歳の弟のような存在が出来て戸惑わないはずはない。
食事にしつけ、勉強に具合が悪くなった時の対処。
本をいくら読んでも足りない。
アケは、悪戦苦闘しながらナギの育てていった。
それでも何もなく、ただただ屋敷の中で息をしていただけのアケにとってナギの育てるのはこの上なく充実した毎日だった。
「ナギのおかげで……私は人間でいることが出来たんです」
アケは、嬉しそうに口元を綻ばせる。
嬉しそうに話すアケを見てウグイスもようやくほっとする。
辛いだけと思われたアケの人生にも光りが届く時があったのだ。
「武士達は……」
オモチがぼそりっと口を開く。
「武士達は、ナギのことは知らなかったの?」
オモチの問いにアケは首を横に振る。
「知ってました」
家精が顔を顰める。
「知ってたのに……そのままにしていたのですか?」
今までの話しならアケを刺激しない為に、余計なことが起きないようにナギを取り上げてもおかしくないはずだ。
「それだけ私と関わりなくなかったんだと思います」
アケは、そう言って自虐的に笑う。
武士達に取って上からの命令とは言え、アケの警護なんて苦痛以上の何者でもない。それなのにこれ以上、面倒ごとなんてごめんこうむりたい。
だから、知らぬふりをしていたのだろう。
これ以上、関わりたくないから。
「腐ってるな」
オモチは、ぽそりっと呟く。
「それで……」
ウグイスは、アケの顔を覗き込む。
「ナギはどうしたの?ひょっとして今もその屋敷にいるの?」
ウグイスが聞いた途端、アケの顔が暗くなる。
「彼は……出ていきました」
それはアケが十七歳、ナギが十三歳の時だった。
幼かったナギは背こそ低いものの身体つきの逞しい立派な少年となり、アケのことを「姉様」と慕い、アケもナギのこと実の弟のように可愛がり、彼のおかげでたくさんのことを学び、成長し、人間としての理性を保つことが出来ていた。
ナギは、アケの作ったご飯を食べる度にお金を貯めていつかここを出て食堂を開きましょうと口にしていた。
それは本当の儚い、叶うことのない夢だとアケには分かっていたがそれでもいつか本当になればいいとアケも嬉しそうに頷いていた。
しかし、その夢が叶うことは当然なかった。
それもまったく想像もしない形で。
「姉様。俺はここを出ていきます」
アケは、何を言っているのかまったく分からなかった。
「なんで……なんで……⁉︎」
その時のアケは、自分でも気づかないくらい動揺していた。
食堂の夢なんて叶うはずがないことは分かっていた。
しかし、ナギが屋敷を出ていくなんて考えもしなかった。
「どこへ行くというの⁉︎」
アケは、必死に問うた。
しかし、彼は何も答えずにただ「ごめんなさい」とだけ言って屋敷を出ていった。
アケは、何が起きたかも分からない、理解も出来ないまま絶望に堕ちていった。
「そこからの私は抜け殻のようでした」
地獄のような孤独と孤立した生活の中、唯一の潤いであり、喜びであり、何よりも可愛く愛おしかった大切な者が
唐突にいなくなった。
それからの生活は砂を噛み締めるような空虚。
生きてることに何の意味も見出すことが出来なかった。
「……ナギから連絡は?」
ウグイスは、恐る恐る訊く。
案の定、アケは、首を横に振る。
「ありません。今も何をしているのかも……」
「話しだけ聞いてると相当にお嬢様を慕っていたと感じられます」
家精は、考え込むように視線を下に下げる。
「何の理由もなく出ていくとはとても思えませんが……少なくともお嬢様に何も言わないなんて……」
「きっと……ナギは大人になったんです」
あけは、ぽそりっと言う。
ウグイスは、怪訝な表情を浮かべる。
「夢どころか希望を持つことも許されない私と違ってナギは自由です。心と身体が成長すればやりたいことだってきっと出てきます。それをする為にはきっと私と言う存在は邪魔だったんだと思います」
だからナギが出ていったことは仕方のないことだった。だからアケは割り切ろうとした。
しかし、出来なかった。
当時のことを思い出し、アケは泣くように笑う。
「私は、もう生きるのが嫌になりました。何度命を絶とうと思ったか分かりません」
アケの告白にウグイスの表情が青ざめる。
「でも、出来ない」
「それでいいんだよ」
ウグイスは、アケの肩を叩く。
「死のうだなんて二度と考えちゃダメ!」
しかし、アケは首を横に振る。
「そういう意味ではないんです」
アケの言葉にウグイスは怪訝な顔を浮かべる。
「封印の条件だね」
オモチが赤い目を鈍く光らせて言う。
「封印の条件?」
ウグイスは、首を傾げる。
「さっき言ってたやつ?」
オモチは、頷く。
「その封印はとても強固。いくら巨人でも内側からでは決して破れない。でも、その代わり外側からの衝撃には弱い」
オモチの言葉にアケは、白い布を触れる。
「その封印が解ける条件は主に三つ。一つは白蛇の鱗を断つくらいの衝撃を与えること」
「そんなの普通に難しいのでは?」
家精は、顔を顰めて言う。
無能の揶揄するも白蛇は黒狼と並ぶ王の一柱。その一部とは言え並の攻撃で破ることは出来ない。
家精の言葉にオモチは頷く。
「そう。だから気をつけなきゃいけないのは次の二つ。一つはジャノメが死ぬこと」
その言葉にアケは唇を噛み締める。
「どんなに強固な封印も器がなくては成り立たない。ジャノメが死ぬ。それは封印をしてる必要がないことを意味する。だからジャノメは死なないんじゃない。死ねないんだ」
それはまるで呪いのようにウグイスには聞こえた。
つまりアケは、どんなに辛くても苦しくても、酷い目にあっても死ぬことを許されないのだ。
"死"と言う最も簡単な逃げ道をアケは最初から絶たれているのだ。
ウグイスは、自死なんて考えたことはない。
しかし、もしどんなに辛くてもそれが出来ないと考えた時……とてつもない絶望が胸を刺した。
「最後の条件は……ジャノメが自ら封印を解くこと。つまり鍵としての役割をジャノメに与えることで封印をより強いものにしているんだ」
オモチがあってる?と確認するようにアケを見る。
「その通りです」
アケは、頷く。
「そして……ここに来る前、私は自ら封印を解いたんです」