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“暁さん”
2023年9月7日 11:01
どうあがいても50分後には夕方のニュースが始まってしまう。デスクから指示が出た時から時間的にぎりぎりなのはわかっていた。既に15分が経過した。車で虎ノ門の研究所に向かったもののあと35分後には撮影したテープを報道局に届けなくてはいけない。さらに10分が経過した。研究所に着いた。放送まで残り25分しかない。 私は研究所に駆け込み撮影の趣旨を研究員に話し撮影を始
2023年9月3日 14:10
ちょっと変な人がいた。閑静な住宅地に有る中学校のテニスコートを毎日じっと見ている男性がいた。年齢は分からないが帽子を深くかぶり熱心に女子テニス部の部活をみているようだ。テニス部部員の女子たちは不安に思った。「あの人さっきからこっち見てるよ」たぶん誰かの父兄だろうと思った。「なんか気味悪いよね」「先生に言ってみる?」 私は、その人影を見てはっとした。
2023年8月25日 20:29
10年前、脳溢血で入院した時に考えさせられた。 私はどうしても水中カメラマンを続けたいと思った。確かに障害がある。一つは母親の介護だ。二つは私の経営する会社が破綻する事だ。三つは私の頭の血管の病気だ。 しかし、私は決して、決して、諦めない。やるだけのことはやってみよう。20代半ばから始めた水中カメラマンと言う仕事を海が好きと言う思いを自分が生きて行く中で大事にしたいと思う。
2023年8月6日 14:18
~歴史上あまり知られていない徳川16代将軍候補がいた!~ 本当なら このまま水戸徳川家で 暮らしていたい。 しかし、それはできない。なぜならば兄15代将軍徳川慶喜から将軍家に来て私の弟となり私の名代として日本国を代表し1867年開催のパリ万国博覧会に行くように命じられているからだ。こうしている間もプリンス徳川としてパリ万国博覧会に行く準備は進められ
2023年7月5日 11:55
もう一人住まいの母と連絡が取れなくなってから夏の盛りの中3週間が過ぎようとしていた。今日は忙しい仕事の合間を縫って休暇を取り音信が途絶えている母の家に行ってみようと思ったのだ。みち子の母は、人情豊かな下町にあり近所付き合いもそこそこにしていた。みち子は駅から15分ほどの2階建ての母の住んでいるアパートの前に立ち家を見上げた。窓は閉まっているので旅行にでも行ったのかなと思っ