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tatu-kuu(車いすおばあちゃん)
2023年12月20日 15:36
父の暴走 普通の結婚式結婚式をどうするか、ゼクシィなんてありません、結婚式を挙げた知り合いや友人もあまりいなかったと思います。当時、仕事の関係でお世話になっていた福祉事務所(補助金をもみ消した市ではなく実家の管轄の福祉事務所です)の方に相談してみました。すると、とっても親切に「市の福祉会館がいいよ。僕もそこで式を挙げたんだけど、エレベーターもあるし、車いす用のトイレもあるし、車いす
2024年1月13日 16:45
「産まれたよ、見においで!」諦めたとたんに私のおなかに宿った小さな命その頃、我が家には1歳になったばかりの長男がいました血はつながっていませんが名前はたつのりといいます。たつのりの可愛い姿を思い浮かべて辛い不妊治療や検査も頑張れました 1989年(平成元年)3月26日「産まれたよ、見においで!」実家の母から電話がありました。「わかった、すぐ行く!」長男たつのりが生まれ
2024年1月15日 19:40
「切迫流産」妊娠の経過は順調で、つわりもそれほどひどくはありませんでした車の運転も普通にして定期検診や母親学級に通っていたくらいですその日もいつもの通り夫は出勤、義母は趣味のパチンコに出かけていたある日、なんとなくお腹が痛い気がして「何か悪いものでも食べたかな」とトイレへすると、だんだん痛みが強くなりその痛みは、一定の間隔で繰り返し襲ってきます「これはちょっとおかしいかも」
2024年1月24日 17:01
「こんなお身体でたいへんですね」 長女と二人でお出かけができるようになりました。愛犬たっちくんのお散歩も車で近くの公園まで行きます。まず、車椅子の膝に娘を乗せて車まで連れていきますチャイルドシートは座席が高すぎて一人では乗せられないので使えませんでした。代わりに、大きなポケットのついたエプロンのような形のシートを見つけました。助手席にエプロンを付けて、穴が開いてるポケットに両足を
2024年2月4日 20:17
「エレベーターに足をはさんじゃった!」次女が産まれてしばらくしたころに、夫が仕事に行っている平日に、義姉が知人を連れて迎えにきて義母は以前住んでいた街へ帰っていきました。私は、娘二人の世話でなにも手伝えませんでしたので昼食にせめてもの気持ちで出前を頼みうな重をお出ししておもてなしをしました。けれど、義姉達の冷ややかな対応が今でも心を暗くさせます。おそらくは、「嫁に追い出された」
2024年2月7日 20:09
「ママー、おしっこでるぅ」 おっぱい、おむつ、洗濯、ごはん、買い物、片付け、長男犬の世話、家事に終わりはありません。世の中のお母さん達はどれほど頑張っているのでしょうか私は、とても一人ではできませんでした。実家の両親と妹が強力なサポーターになり、週に何度も出動してくれていました。実家が近ければよいのですが、車で片道40~50分はかかります。父は主に買い物に行ってくれました。洗濯物
2024年4月15日 18:30
「寒いからな、気をつけて帰れよ」翌年の秋のことです家族4人と母で恒例の軽井沢へ向かう車の中です「きれいだねぇ」「あ、ほらあの木もきれい」窓の外には色づいた木々が徐々に増え始めていた時に母の携帯電話がなりました。「あ、〇子だ」「もしもし」「うん、うん、うん」 実はこの頃、父は腰痛を訴えていて、病院通いが続いていました。この日は検査結果が出ることになり、受診の予約が入ってしま