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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語⑨

父の暴走 普通の結婚式

結婚式をどうするか、ゼクシィなんてありません、
結婚式を挙げた知り合いや友人もあまりいなかったと思います。
当時、仕事の関係でお世話になっていた福祉事務所
(補助金をもみ消した市ではなく実家の管轄の福祉事務所です)
の方に相談してみました。
すると、とっても親切に
「市の福祉会館がいいよ。僕もそこで式を挙げたんだけど、エレベーターもあるし、車いす用のトイレもあるし、車いす用の駐車場もあるよ。」
「結婚式は、まずぅ・・・」と事細かに相談に乗ってくださいました。
「なるほど、なるほど」
「ふん、ふん」
「そーなんだー、へー」
よし、福祉会館がいい!
彼に相談してみよう。
 
ところが数日後、
父が、
「会社のクラブの結婚式場見てきたよ」
「いつにする?」
と…
「え?」
 
「すごく良かったから」
「そこでいいだろう」
と…
そして、
次から次へと
 
「今日打合せしてきたけど、指輪は普通のでいいだろ?」
「え?」
 
「招待状は何通ぐらいたのむ?」
「へ?」
「デザインは普通のでいいよな」
「普通って…」
 
あれよあれよと嬉しそうに、全て父が会社で決めてきました。
 
「結婚式とは、育ててくださった両親への感謝のためにすること」
と、どこかで聞いたことがあるような気がしたので
 
え~い!
まあ、いいや、父が喜ぶなら、好きなようにしてもらおう
と、腹をくくり、全てをお任せ。
当然のことのように、またまた費用のことなどは何も知らず、気にもせず。
準備は着々と進んでいきました。

私が自分の結婚式のためにしたことは 
①花嫁衣装は打ちかけは着れないのでウェディングドレスにすること。
②ウェディングドレスなので式はキリスト教式にすること。
(二人とも信者ではありませんが)
③ちょうど私の上司が牧師さんだったので、式についてお願いしたこと。
④バージンロードに撒く花を、前日に母と慌ててリボンで作ったこと。
 
そんなことだったような気がします。
あとは、ほとんど記憶にありません。
 
招待客リストは約80名
(私の知らない父の友人や知人も何人か含まれていました)
引出物選び
(当時、実家のフライパンが古くて焦げ付いていたこともあり、母が高級フライパンに決めました)
お色直し、料理、プログラム、音楽、
普通の結婚式までの道のりは
なんやかんやと、トラブルもたくさんありましたが、
いろいろと貴重な体験をさせていただきました。
感謝です。
 
1980年(昭和55年)6月15日 快晴!
いよいよ、
夢に見た普通の人生、
普通の結婚式の当日です!
 
さあ、結婚式の当日です。
嫁ぐ日と言えば
三つ指ついて、
「おとうさん、おかあさん・・・」という、あれですが
全くそんなことはできず
朝早くから、もうばたばたです。
「いくよ~!」と父
いつもの通り玄関からひょいと私を抱えて車に乗せます。
そしてこの瞬間に、私は実家を卒業したのです。
後から考えると、そういうことでした。
案外普通って、こんなもんでしょうか?


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