きっと塔の上には住めない。
自分と一番かけ離れたプリンセスは、たぶん、ラプンツェルだとおもう。
いやなにいきなりとおもってる。
裸足で床を歩くことは出来ても、私は多分本当の意味で素足では雑草とか道とかそういう頼りないものの上には立てないと思う。
なんだか自分の中に残滓のような澱のような、夢のない言い方をすると尿路結石みたいな、そんなプライドでできた自分が居座っているような気がする。
私は私のままでいるのがこわいんだ。
そう気づいてから私は私じゃなくなった。
ラプンツェルは無知だ。
塔の外を知らない。
それゆえいかに自分が及ばないかを考えない。
何も恐れない。
自分を守る為だけに作られたひねくれたこの論理で、感情が生まれた時に弾けて砕ける。
気持ちがなければ、自分を知らなくて済むから…。
私は多分ラプンツェルのような生活を強いられたら、まずは妄想に耽るだろう。
そのあと耐えられなくなって塔から飛び降りるだろう。
束縛の中で生きるのは死んでいるのとおなじだ。
私は自分を定義付けたくない。だから自分を象るものが苦手なのかもしれない。
本当に変な話、だけど、本当にずっと考えていたお話。
------質量も体積も何ももちあわせていない、…せめて流動体として存在していたかった。
人間なのに人間になりたくて、人間だからこそ人間を辞めたいときがある。
こんなままでのうのうと生きていられるのか分からなくて、だけど、ある言葉に救われた。どんな言い回しかは忘れた。
最後に笑う者が勝つ主義じゃないし。
っていう、諦めなのか悟りなのか、
両方もちあわせたものなんだろうけれど。
そういう考えに拠ると、今の自分を苦しめなければもうそれでいいのかなとも思う。
未来の自分がどうとかもはやどうでもいい。
私は未来のため、将来のために、これは役に立つから、―――とかそういうものの見方をしているような心当たりがある。
だけど、明日生きているのか?なんなら、5分後には私は存在しているの?
今日、明日のために楽になる努力をしたとしても、明日は明日で気分が落ち込んで退屈になるかもしれない。
すべては結果論だ。
自分の今を未来の自分に押し付けて、そんなの無責任じゃないか。
ただのいい訳じゃないのか?とも思えるのだ。
よく考えてもみれば、別にその最後がどうだろうが、どうでもいい。本当に最後なんだろうか?
最後とはいつのことを指す?
最後は死ぬ瞬間か?
死ぬ瞬間に何を思う?その死の瞬間のためにどうして今生きているこの一瞬一瞬の欠片を圧縮することができようか。
そうだ、
ほんとうに大切なのは、自分に対して正直であることじゃないか。
要するにそれは、自分の心と自分の存在がシンクロしているときで、今の自分を今の自分が満たしてあげられること以外あるのだろうか。
つまりだ、一言で言うと、苦悩を、未来のために、と抱える必要は無いということだ。
それは不必要だとかそういう次元ではない。
杞憂というものは思ったよりも厄介で、いいかえると、被害妄想なのかもしれない。
それはどういう時に起こるかというと、
未来の自分にすべてを委ねるという人任せで姑息な今の自分が存在する時であるだろう。
そんなわけで私は、なやみというのは悪いことでは無いという前提のもとで、未来について悩む時間を極力減らす、あ、考え過ぎてると思った時点であと30秒だけ考えるということにする。
自分が存在することを証明したいが、それを証明できるまたは証明可能なことを知るのもまさに自分であるから架空の自分が思い描いた空想にしか過ぎない可能性もあるのではないか、というジレンマを抱えていた知人にも言いたい。
これが今の私が出した答えだ。
自分が何も考えない時こそ本当に自分が一体化されてそこに存在しうるという存在証明ができる。
ただ単に言葉のあや遊びみたいにはなってしまうけれど。
上のような状況つまり自分がシンクロしている時、もし今の自分が私はここにいると思えば、
私=私 (シンクロしているから)
よって我思う故に我あり的な感じで思考の存在に付随する自分自身のことも肯定できるのではないかと思うのだ。
しかしもし、自分の存在と心が乖離している場合、
私1=私2、つまり
私≠私
なので我思う故に我ありが成立しなくなる。
やはり今を生きることが大切だということが、これが一番苦手な私だからこそ痛い程よくわかる。
そんな私だから行動への写し方が良く掴めずにいる。しかし私が思うのは、思考と行動は別物だということ。
思考しなければ行動出来ないなんてのは無い。
考えても無理ならやるしかないということ。 そこに望みをかけて期待をかける、信じるということ。
これも考えることと同じくらい、時にはそれ以上に求められることだ。
冒頭でも述べたようにラプンツェルのように素直な心というのはある程度の無自我を保つことが根底にあるような気がする。
そこには思考はなく、そこに付帯するプライドも杞憂もなにもない。