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【知られざるアーティストの記憶】第89話 タケイさんの見立てと、マホとの出会い

Illustration by 宮﨑英麻

*彼は何も遺さずにひっそりとこの世を去った。
知られざるアーティストが最後の1年2ヶ月で
マリに遺した記憶の物語*

全編収録マガジン
前回

第12章 S医院に通う日々

 第89話 タケイさんの見立てと、マホとの出会い

微かな振動を伴ってツボの奥深くまで染み込んで来るようなタケイさんの指圧を、彼が必要とする箇所にじっくりと受けている間、彼に代わってマリがこれまでの経過を改めてタケイさんに伝えた。彼を診るにあたり、タケイさんも予め中医学の文献を当たっておいてくれた。タケイさんはこれまでに、白血病を克服して20年以上経つクライアントは診ているが、現に闘病中である白血病患者の体に触れるのは初めてであった。

タケイさんの見立てでは、彼の白血病の原因となっている体質は「脾気虚ひききょ」、不眠の原因はストレスによる「肝熱」とのことであった。脾気虚というのは他でもない、かなりの重症と言われて高頻度で通っているマリとほぼ同じ体質(註1)なのであった。タケイさんがツボ押しで肝熱を取っていくと、彼はほどなく寝息を立てた。マリが話し終わると今度はタケイさんが言葉を引き取り、いつもの穏やかな中医学オタクの口調で、彼の現状に関して他のクライアントたちのエピソードも交えながら、誠実で熱心な解説をした。自宅で押すツボの場所を教え、いつもマリたちにもくれる食材の一覧に、彼が積極的に摂ったほうが良い食材に丸を付けてくれた。

(註1)マリの体質は「脾気虚ひききょ脾血虚ひけっきょ」。彼がS医院で処方された漢方「補中益気湯ほちゅうえっきとう」に補血の作用のある二薬を足した「十全大補湯じゅうぜんだいほとう」をマリはタケイさんに勧められて服んでいた。

国際中医師免許を持つタケイさんのツボ押しを、1時間ではなく2時間たっぷり受けて、その間は質問をし放題で、見立てと実生活でのアドバイスをもらえて7000円というのは、マリにはとても安価だと感じられたが、
「7000円払ってあれだけって言うのは、ちょっと物足りないな?」
と彼は帰りの車の中で正直な感想を漏らした。
(あれだけ気持ちよさそうに眠っていたのに?)
とマリは思ったが、彼自身が値ごろ感を感じられないのでは、受診の継続が難しいことを受け入れざるを得なかった。タケイさんにも、「継続して受診はしないかもしれない」ことは伝えてあったからこそ、一回入魂のアドバイスをくださったのだ。S医院に毎週通い始めたこともあり、今回は施術の効果よりもむしろ見立てとアドバイスのほうに重きを置いた受診であるとマリも考えていた。そしてそれは十分に叶えられたように見えたのだが、彼の不眠はその後も大きな変化が得られず、タケイさんに教わったツボも一週間も続けないうちにやめてしまった。


©Yukimi 絶作『未来へのレクイエム』より


2022年2月13日、マリは前日に淡路島から到着していたマホと一緒に昼食を摂った。マホの今回のツアーを主催していたメイが風邪で寝込み、この日の昼食はマホとマリの他に、生きながらにして菩薩のような空気を纏ったユミコの3人であった。昼食のあと、14時からのお話会の会場へ移動することになっていた。

「ねえマホちゃん、会場へ移動する途中、せっかくならちらっとイクミさんに会ってくれないかな?」
マリの提案は、彼の入院中であった12月に会ったときにマホが、
「2月にそっちに行ったとき、ぜひイクミさんに私も会いたい。」
と言ったことを受けてのものであった。
「それいいねえ。急に行ってもかまへんかったら、ぜひ連れてって。」
イクミの家はちょうど会場へのルートの通り道にあり、イクミには予告なしであるが寄ってみることになった。

「マホちゃんが来ているの、今玄関の外に。」
突然マリに呼ばれて表に出た彼は、終始目を伏せていた。頭にはトレードマークのベージュのニット帽をすっぽりと被っていた。マリは友達に自分の恋人を紹介する手前、彼のことを一瞬だけいつもより客観的な目線でチェックするように眺めた。彼はさしずめ、神経質な芸術家のように見えた。

「こんにちは。体調はいかがですか?」
マホはこぼれそうなほど大きな目に人懐こい笑みを浮かべ、明るくハスキーな声で彼に尋ねた。事情を知らないユミコは、何歩も後ろから黙って様子を見守っていた。
「今は全部この人の言う通りにしているから。」
とてつもなく小さな声で彼は言った。


©Yukimi 『未来へのレクイエム』P・4


玄関先で目を引いている彼の自作のポストにマホが目を留めたので、マリは彼が器用なこと――自室の家具はほとんど彼自身の作品で、しかもDIYの域を遥かに超えたクオリティであること、ミシンを使った裁縫の腕前も見事であること、また、絵も含めてそれらの技術を誰かに師事したことが、若い頃の建具屋さんでの修業をおいて他にないことなど――を話した。

「なるほど。イクミさんは何も教わらなくても、初めっからやり方がわかってしまうし、できてしまう人なんですよね?淡路島に住んでいる私の父もそういう人やから、なんとなくわかるんですよ。私の父は、どこからかいろんなものを拾ってきては、いつもなんか作ってるんですけど、それがまたすごくセンスがいいんです。」

イクミはマホの話を聞きながら、まるで雷に打たれたように感無量の様子であった。初対面のマホが自分の本質を一発で見抜いたことに驚き、打たれていたのだった。

「それじゃあ、私たちはこれからお話会をしに行ってきますね。イクミさん、お大事にしてね。」
マホが別れの挨拶を口にすると、
「私も行こうかな?」
突然晴れやかな顔をして彼がそう言ったので、一同は歓声を上げた。いちばん驚いたのはおそらくマリであった。

つづく

★この物語は著者の体験したノンフィクションですが、登場人物の名前はすべて仮名です。

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