スノーシューを使ってドイツの雪山を登ってみた
さてさて、今回は僕のテンションが上がる話題を!!
雪山を「かんじき」を履いて登山する話。
かんじきは「スノーシュー(雪の靴)」の呼び方で通じるのかな。でも、使った経験のある人はあまり多くないような気が。。。
さて、僕はドイツで住んでいた時にしょっちゅう登山をしていた。とりわけ好きだったのが、冬の雪山を登ること。それはそれは現実の世界と思えないほどの不思議な感覚を経験できる。
ただ、ドイツの雪山にもざっくりと2つの種類がある。1つ目は、多くの人たちが登っていて雪道が踏み固められた道を歩く、なんてことはない雪山。多くのファミリーやお年寄りたちが気軽に雪山を楽しんでいる。
もう一つは、それなりに登山好きの人たちが登る山。登っている人数がそれほど多くない。だからルートによっては数十センチとか数メートルの深さの雪を、自分でかき分けて登っていくことも。
今回の記事は2つ目の山について。
深い雪が積もる山
深い雪を自分で切り開いて歩いていくのは、非常に体力を消耗する。山用語でいわゆる「ラッセル」と呼ばれるもの。雪山初心者のころは何度かやったけれど、さすがに疲弊するし、登山のスピードがガクッと落ちる。
困ったときは現地の人に聞いてみるに限る。そしたら返ってきた答えは、
ドイツ人同僚
「スノーシューを履いたらいいよ。雪の中に足が沈まないから」
と即答。
スノーシューって日本で使ったことはなかったけれど、まずはアマゾンで5,000円くらいで買ってみた。
さっそく雪の中の自然へ。
使ってみると、ぜんぜん雪の中に沈みこまない。快適。雪の上をスイスイと歩いていける。
それからは、雪の深い山に行くときにはお供として連れていくことに。
でも、何かがおかしい
ところが、問題が。
このスノーシューを履いていると、登りはあまり問題ないんだけれど、下りではツルツル滑ってしまって、コケまくる。
何かがおかしい。でも、何が悪いのかが分からない。海外生活では、現地の人たちはみんな知っていて常識だけれど、自分はそれを知らなくて、何かがおかしいけれど何が問題なのか分からない、という状況が起こりがち。
そんなある日の登山で、僕がツルツルとコケながら降りていると。困っている人に対して、ドイツ人はおせっかいで親切。僕に声をかけてくれた。
登山中のドイツ人
「いいスノーシューを使ってるね!やっぱり雪山だと必要だよね。でもさ、キミのスノーシューは、ひょっとしたら平地用じゃない?ちょっと裏側を僕に見せてもらってもいいかな」
スノーシューの裏側を見せてみると、やっぱりね、という顔をした。
ドイツ人
「ほら、裏側に小さな爪がたくさんついているでしょ。このタイプって、平地をノルディックスキーみたいに歩くときに使うためのスノーシューなんだ。傾斜のある登山に使うんだったら、足の下に大きな爪がついているものがあるから、そっちを使ったら滑らないよ。じゃあ気をつけて下山してね、チャオ!」
現地の人の親切なアドバイスは素直に聞くべしというのが僕の鉄のおきて。早速、家に帰ってから調べてみたら、僕の持っているスノーシューとは違って、たしかに大きな爪のついているスノーシューが。これもアマゾンで5,000円ちょっとくらいで売られていた。
早速それを買って、雪山へ。
そしたら、確かにすべらない!険しい傾斜もガシガシ登って行けるし、絶壁のように見える下り坂も、ガシガシ降りていける。
ありがとう、親切な現地の人!
下の動画は、大きな爪のスノーシューを使って下山した時の動画。スノーシューは写っていないけれど、ザムザムと音がするのはスノーシューの爪が雪に喰い込む音。
雪山の楽しみ
ただ、雪山としての楽しみを考えてみると。スノーシューを付けて歩くよりも、靴のままだったり、靴の裏にアイゼン(滑り止めの鉄の爪)だけを装着して歩く雪山の方が、僕にとっては楽しい。それはなぜか?
雪道はどこにも同じものはない。雪の状態や深さ、または他の人の足跡など、歩くにつれて雪面の状態は刻々と変化する。そんな雪面を目で追いながら、一歩、また一歩と、歩みにひたすら集中して歩を進める感覚は、無上の喜び。
でもスノーシューを履いていると、そんな細かな雪面の状態を見なくとも、ガシガシと歩けてしまう。突破力があるから。良くも悪くも。
つまり、一歩一歩、歩く過程を楽しむのであれば、靴やアイゼンだけがいい。でも雪が深くなってくると、足が重くなってスノーシューがほしくなる。
だから雪の深い山を登る時には、足元の雪面の状態を注意深く観察しながら、そして並行して、自分の体力や気持ちの状態も常に観察しながら、このまま靴やアイゼンだけで歩くのか、それともスノーシューを装着するのか、刻々と考えながら歩いていく。
こうやって、その場、その時、そして自分自身の感覚だけに、ただひたすらに集中する雪山登山。それは一種の瞑想のかたち、つまりマインドフルネスな状態と呼べるのではないだろうか。
by 世界の人に聞いてみた