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なぜ人はわかりあえないのか。ロードムービーの中で、人々のすれ違いを描いてきた、ケリー・ライカートを振り返る。

フランス代表のサッカー選手、キリアン・エムバペ(通称エムバペ)は、数年前まで、ムバッペという呼称が付けられていた。しかし、いつからか、その呼び名は変更され、エムバペと呼ばれるようになった。当時、DAZNの熱心な視聴者であった筆者は、朝の情報番組で、エムバペという彼の呼称を聞いた時、これまでにない強い違和感を覚えた。「そっちでは、そう呼んでるのね。」その程度の話で済む事だと思っていた。残念ながら、その判断は誤っていたと、のちに知る事になる。今でもその名が呼ばれると、ふと、昔の彼の呼び名を思い出すことがある。ケリー・ライカートもエムバペ同様に、呼び名が変更された人物の一人だ。映画の予告編に出てくる彼女の名前は、ケリー・ライヒャルトになっている。なんだか、ちょっと覚えにくい。以前紹介したカンタン・デュピュー も昔は、クエンティン・デュピューという呼称がつけられていた。クエンティンといえば、同業者に、クエンティン・タランティーノがいるが、彼は、カンタン・タランティーノとは呼ばれていない。もし、タランティーノが10年遅れて生まれていたら、今頃、カンタン・タランティーノと呼ばれていたのだろうか。実際のところ、そんな話はどうでもいい。なぜならば、ゴダイゴが、『ビューティフル・ネーム』でも歌っているように、一つの地球に一人ずつ与えられた、素晴らしい名前なのたがら。はい、以上。前置きはこれぐらいにして、そろそろ本題に入ろう。ケリー・ライカートは、64年生まれの、アメリカ、フロリダ州マイアミ出身の女性監督だ。ハリウッド映画とは対照的に、インディペンデントな映画を撮り続け、現在日本では、6作品観ることができる。ケイリー・ライカートは、しばしば、ジム・ジャームッシュや、ハル・ハートリーなどと、類似的に並べられる事がある。どちらもアメリカ人でインディペンデントでしゃれおつな映画をつくる作家だ。彼女の映画の特徴として、まず初めに挙げられるのは、ロードムービーの要素だ。ところで、筆者は、ここ数年、あまりテレビを見なくなった。見る時は大概、食事をしている時ぐらいだ。チャンネルをザッピングしていると、クイズ番組か、グルメ番組か、歌番組か、それぐらいしかやってない。しかも、どれも日本の広報番組のようで、見る気にならない。それに、やたらと旅要素を入れたがる。クイズ×日本の観光地とか、グルメ×旅番組とか。ケリー・ライカートは、そんな旅行好きな日本人の心を満たしてくれるかもしれない。BSで、「秘湯を巡る旅」とか、「日本名山を登る」とかいった、番組のディレクターを彼女が務めていても、不思議ではない。2017年『ザ・スクエア 思いやりの聖域』でカンヌ国際映画祭の最高賞、パルムドールを受賞した、リューベン・オストルンドは、初期に、スキーの映像作品を制作している。こちらはCSで呼ぶのが良いかもしれない。ケリー・ライカートのロードムービーは、楽しい旅番組とは似ても似つかない。切なくて、悲しくて、やるせないからだ。登場人物の主人公たちが旅に出る理由は、それぞれ異なっている。彼女の初監督作品、『リバー・オブ・グラス』(1994)では、先住民が「草の川」と呼んだ、フロリダ州、マイアミ西部を舞台に、その地に生まれ、その地で育った主婦が、酒場で知り合った男と、ある事件をきっかけに、ニューヨークへと逃避行の計画を謀る。自分を絡めとるこの町のしがらみから、解放され、自由になりたいという、彼女の切実な思いが、旅によって描きだされている。俳優としても活躍する、ベン・アフレックが監督を勤めた、『ザ・タウン』(2010)も同様に、「この町を出たい映画」のひとつだ。世界一、銀行強盗事件の多い町、ボストン市、チャールズタウンを舞台に、土地に縛られたチンピラ銀行強盗犯と被害者女性との恋愛を描いた、サスペンス映画だ。政治や社会的な問題を題材に、映画をつくることも、彼女の作品の傾向だ。ケン・ローチや、アキ・カウリスマキなどの映画とも親和性は高い。2008年公開の『ウェンディ・アンドルーシー』は、地方から仕事を探しに、愛犬を連れやって来た女性が、立ち寄ったスパーで、金銭的理由からドッグフードを万引きし、店員に通報され警察署へ連行される。取り調べを終え、もと居たスーパーへ戻って来ると、店の柱に繋いで置いた愛犬のルーシーがいない。彼女は、必死で犬を探す。翌日、保健所から連絡が入り、引取先の住宅へ向かい、広い敷地の庭でルーシーを見つける。しかし、彼女の所持金はほとんどそこをつき、故障した車も手放してしまい、犬を飼える状況ではなかった。彼女は、愛犬のルーシーに向かって、「仕事を見つけたらまた来るわ。」と涙ながらに語りかけ、その場を後にするのだ。なんて、虚しい映画だろう。貧困は、その人から、何もかもを奪い去って行く。物質的なものから、精神的なアイデンティティーまでもだ。2013年に公開された、『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』は、タイトル通り、環境保護活動家の男が、仲間とダムを決壊させる話だ。キャンプで来ていた通りすがりの男を巻き添いにしてしまったことをきっかけに、仲間たちの間で不安が積もり、相互不信に陥って行く、テロリストたちの心境が淡々と描かれている。他にも、『ミークス・カットオフ』(2010)も同類の作品と言えるだろう。彼女がつくる映画の特徴を、もう一つ挙げるならば、それは、人々のすれ違いが描かれているという点だ。映画に登場する人物たちは、どこか、ぎくしゃくした関係にあり、お互いに理解しあえていないようなのだ。2006年に公開された『オールド・ジョイ』は、旧友からの連絡をきっかけに、男2人で山奥の秘湯を目指し車を走らせる、ロードムービーだ。途中、道に迷いながらも、夜には焚き火を囲み、テントを張ってキャンプをする。久しぶりの再会に二人の会話は弾むかと思いきや、なぜだか、いまいち盛り上がらない。誘いを受けたマークは、結婚してもう時期、子供ができるという。一方、友人のカートは、頭は禿げ散らかし、蓄えた髭はもじゃもじゃで、着ている服はよれよれだ。それに、仕事は何をやってるか、いまいちよくわからない。時が経つとは残酷なものだ。スタートラインは皆同じだった筈が、その差はどんどん広がりもう元には戻らない。カートは、夜間学校に通っていると言って、超弦理論の話を熱く語るのだが、隣に居るマークは、どこか冷めた様子で、その話を聞いている。旅番組のような緑いっぱいの風景と心安らぐ温泉シーンのなかに、このような生々しいやりとりが、埋め込まれているところがこの映画の巧みな部分だ。学生時代は、同じ釜の飯を食っていた仲間でも、社会に出れば、人それぞれの道を歩み、人それぞれの考えを持つ。境遇や生活環境が全く異なる二人は、もう、あの頃のようには、わかりあえないのだ。2016年公開の、『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』では、アメリカ北西部、モンタナ州を舞台に、それぞれ異なる4人の女性の生活と、彼女たちが下す決断に焦点が当てられている。オムニバス映画のような構成になっており、物語の最初の主人公は、弁護士のローラだ。彼女の事務所の元には、9ヶ月の間、損害賠償を訴える大工の男が何度もやって来ており、彼女はその度に、訴訟を起こす権利は認められないと、男に告げているのだが、男の方はまだ納得がいかないようで、ある日、立てこもり事件を起こし、警察に弁護士の彼女とのコンタクトを要求する。夜中に呼び出された彼女は、男を説得するようにと、警察から防弾ジョッキを渡され建物の中に入る。やはり男は、納得がいっていないようで、ファイルに閉じられた報告書を読むように、ローラに指示をする。精神的に追い詰められた男は裏口から逃げだす為、ローラに時間稼ぎをするように提案し、彼女を建物の外へと出すが、「男は裏口に向かっている。」とローラはあっけなく言ってしまう。その他にも、夫婦二人が、新居を建てるため、石材の砂岩を友人の老ミュージシャンから分けてもらう話や、夜間学校に通う生徒と教師の話がある。どちらの話も、お互いの了解や理解が上手くいっていないようで、双方のすれ違いが描かれている。先程も名前を挙げた、2010年公開の、『ミークス・カットオフ』は、1845年のアメリカを舞台に、先住民族であるインディアンと新天地を求め西へと向かう、白人一族との間での対立を描いた作品だ。そして、最新作『ショーイング・アップ』が今年の12月22日から、ヒューマントラストシネマ渋谷にて公開される。2019年にテルライド映画祭にて、初上映された作品、『ファースト・カウ』も同日から公開される予定だ。配給はどちらもA24が行っている。こちらは、新宿武蔵野館ほかで、全国公開されることになっている。日本の年末、竜巻のように突然押し寄せて来た、ケリー・ライカート。これからも彼女から目が離せない。




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