白州次郎・正子夫妻の武相荘を訪れて考えたこと
白州次郎・正子夫妻が晩年住んでいた鶴川村(現町田市)の武相荘を初訪問してきた。https://buaiso.com/
白州次郎・正子夫妻のことは、私が20代の頃から関心があり、ご本人の著作や、彼らと親交があった方が書いた人物伝についての本を読んでいた。
次郎は、「ディシプリン」を語り自らのディシプリンを貫いた人物。マッカーサーのも吉田茂にも物怖じせず物事を言えた人。
正子は、華族のお姫様出身、教養を身につけ、自らが能楽を習得し、能楽・和歌から骨董品まで造形深く、日本の「美」を拾い集めた人。
というのが、私がもった印象。
若かった私は、次郎さんみたいな人が理想の男性だわ!と思い。
正子さんみたいに審美眼で、一流の美の鑑賞者になるのだ!と決意した思い出があります。
彼らの晩年の住まいが町田市にあるのは知っていたけれど、ついぞこれまで訪れることなく。
先日、ふいに新緑の季節の遠足に・・・と訪れてみた。
そこにあったのは、「彼ら流の独特な暮らし方」と「息使い」があった。
農家を上手に、自分達の暮らし方にあわせてリノベーションしている。
和洋折衷、都会の田舎が混じりつつも、彼らの美意識がそこかしこにあるのを感じた。
解説の言葉で印象に残ったのは、彼らが大切にしていたのは
「趣味(Hobby)は違ってもよいが、嗜好(Taste)は同じ方がよい」という考え方。
これには、深く深く納得した。
確かに、親密な人とTasteが同じであれば、居心地よい空間を作ったり過ごせたりできるであろう。
彼ら夫婦の趣味は違っていたが、確かに、美に関する嗜好は同じであったことを、彼らの住まいからは感じられた。
有言実行でもある2人なのだろう。
武相荘を堪能した後は、日本民家園に足を運んでみた。(なんと、小学校の遠足以来なので、全く記憶なし)
日本全国から移築した民家、古いものは18世紀のものから大正時代のものまでが移築保存されている。
その中に、さっきみた武相荘そっくりの間取りの建物があった。
そこにあるのは、昔のままの間取りで昔の暮らし。
武相荘にあったのは、同じ間取りでも、まったくオリジナルの暮らしをしている。という違いがみれたことが、面白かった。
そう、建物というものは、あくまでもそこにどう暮らすか?が大切なのだ。
最後に、民家についてのレクチャーコーナーで知識をちらっといれてきた。
そこにあった言葉でおお!と思ったのが、「民家とは、民衆が暮らす家である」というフレーズだった。
当たり前だが、流すことができないフレーズだ。
先の武相荘は、民家である。しかし、そこに暮らした夫婦は民衆ではない。元はお屋敷暮らしの身分の人である。だからこそ、最期は今までと違う経験がしたく、民衆の住む家”民家”暮らしをしてみたのではないだろうか?
そういえば、マリー・アントワネットも宮殿暮らしから飛び出し、ベルサイユの敷地の片隅にプチ・トリアノンという村暮らしごっこができる場所を作りそこを愛用していたらしい。
”自分にないものには憧れる。”
お屋敷暮らしの人は、民家暮らしに憧れたのかもしれない。
(ただし、皮肉なことに、その逆は憧れる心はもっても実行することは難しい)
人間、自分が生きるに相応しい居場所がある。だが、時には、そこを逸脱したくもなるものだ。それが可能な自由をもつことが、できる時代に入ってきたのが昭和初期なのかもしれない・・・
など、ぐるぐると思考をめぐらせてみた。
同じ日に、武相荘と民家園の二箇所をめぐっての私の中の収穫はこれだ。
なぜ白州夫妻が農村の民家でひっそりと晩年暮らした理由がわかった気がする。