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双極症の新社会人が働くことに躓いた話

私は、大学在学中に双極症になり、大学を卒業してから1年経たずに、2回職業を変えています。その経緯と今の気持ちを書き記してみます。

大学4年の冬、私は通院を辞め、躁に近い軽躁と混合状態を繰り返していました。軽躁の勢いのまま卒業制作を終え就活をし、4月に働き始めました。自分がやりたかった仕事で、大好きな職場でした。
全てが順調で、仕事の大変さも全て自分で解決できると感じていました。私はやっぱり病気じゃなかった!と家族に言っていたことを覚えています。鬱屈とした自分に戻りたくないと言って予定を詰め込んでいました。

様子がおかしくなってきたのは1ヶ月半が経った頃でした。上司とぶつかることが増えて、頭の中は常に混乱していました。口では強い言葉が出てしまうのに、心の中はどんどん落ち込んでいきました。最終的には、職場の人みんなが私を責めているように感じるようになり、ある日仕事に行けなくなりました。そして、そのまま退職しました。

その後、深い鬱に陥りました。躁→混合状態→鬱だったと思います。そこからは、ただ時間が経つのを待つように過ごしました。通院を再開したものの、薬の効き目はイマイチでひどい混合状態も経験しました。

数ヶ月経って、また軽躁なのか混合なのかわからない不安定な勢いで、私は面接を受けに行き、採用が決まりました。今度は頑張れる、フルタイムで沢山働こうと思っていました。
しかし、出勤初日、大きな困りごとはなかったのに、家に帰ると頭の中で人の顔や会話が反復され、パニックになってしまいました。「私は社会のスピードについていけない」と声をあげて泣きました。そして、私はまた数日で退職してしまいました。

また数ヶ月働くことができませんでしたが、つい最近アルバイトを始めました。週3日5時間のアルバイトでヒーヒー言う毎日です。

ふと、一緒に卒業した同級生は、フルタイム週5日働いているのかと考えます。自分と比べて、時々苦しくなります。心底自分に呆れてばかりです。
あの時ちゃんと通院していたら、ちゃんと薬を飲んでいたら、躁鬱じゃなかったら、たらればなどいくらでも浮かびます。でも、きっと人生は引き返せない方が良いのだと思います。最善などなく、つまづかなければわからなかったことばかりだったのだと思っています。病気を受容することは難しかったけれど、今は双極症のことを前向きに学べるようになりました。

人には人のペースがあります。いろんな働き方があります。
一度できた心の穴を埋めることは簡単なことではありません。前進よりも回復ばかりに時間を取られているけれど、いつか前進できると信じたいです。人の道は一つも同じ方向に伸びているものはなくて、誰も競うことも、比べることもできないのだと思います。私は私にできることを一つ一つ拾い上げていくしかないなと思っています。それで、いつかつまづきながらも前に進んでいたらラッキーです。

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