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書評『父-娘 近親姦 「家族」の闇を照らす』

【大学の課題:書評(ノンフィクション)】

 タイトルを見て、ゲッと思った人に読んでほしい。

本書は、アメリカで1975年から5年間、近親姦被害者四十人、父親に誘惑されたことのある女性二十人そして、さまざまな保護施設や精神病院の関係者・セラピストにインタビューをした初めての大規模な『近親姦』についての研究結果である。古い研究だ、アメリカの話だから日本では関係ないと無視するべきか。答えはNOである。本書で取り扱われている問題は、現代の日本においてまだ取り合われていない、闇に葬られている問題なのだ。それは日本の現状について書かれた翻訳者の解説からもわかる。

父親から頻繁に性交を強制されたという当時12歳の少女の訴えを「家族が誰も気づかなかったのは不自然、不合理であり、少女の証言は信用できない」として却下し、父親は無罪となった事件を知っているだろうか。この一件が「フラワーデモ」のきっかけとなり、後に二審では有罪となった。しかし、一審でこのようなことが判決の理由として述べられたのが2019年の日本での話なのだ。

この本と出会ったのは、高校二年生の冬、暗い図書室の中だった。ひっそりとでも嫌に目につく『近親姦』という強い言葉の本。手に取って何度もなおした。読みたい衝動と共に恥ずかしい感情があったんだ。そして、気付く。ここでこの本と出会ったのに無かったことにしたら、それは性犯罪、性的虐待を無かったことにするのと同じではないか。

 本書は三部に分かれている。研究データと共に示される被害者たちの体験談は、まるで自分が体験したかのような吐き気と嫌悪でたまらない気持ちになる。

 第一部では、「何故、近親姦はいままで隠されてきたのか」について深く調査データと共に示されている。学術界も大衆文化を先導する人も多くは男性であり、「父親」であるため、自分たちの要素を正当化するために旧約聖書を盾に娘である女性たちに責任を押し付けてきた。そして、これらは家父長制の延長線でどの家庭でも起こり得るのだ。

 第二部では、その行為がどれほどまでに娘たちの人生に影響を与えているのかをインタビューに主軸に置きながら説明がされている。ここで分かることは、娘に「母親」と同じ役割を担わすことの有害さだ。

 第三部は、「秘密(近親姦の被害)を破ること」から起きる危機、それから守るための治療方法をまとめてある。

 この本は、被害者の救済を一番の目的にしているのだ。そのための近親姦の実体と社会の近親姦を否定する風潮自体を変えるための研究だ。

 確かにここにまとめられているのは外国の話だ。だが、本当に日本と無関係と言えるだろうか。
 『血の池地獄』は、女性が必ず落ちる地獄である。男性は罪を犯さなければ地獄には落ちない。だけど、女性は生を受けた時点で、罰されるべき存在だと過去の日本人は考えたのだ。

 日本では「フェミニスト」は悪口である。これは、日本のレベルの低さから起きる現象である。今まさに本書で書かれてた社会が日本にある。

 現在のアメリカでは、父親と子どもが一緒にお風呂に入ることは児童虐待として逮捕される事案である。それは、本書が刊行され社会が変わったからだろう。本文の中でも、近親姦が大きな社会問題として再認識されるようになってきた、と書かれている。日本は、この時点なのだ。北川景子が主演で映画化もされた『ファーストラブ』も近親姦の被害者が大人になってからその事実に気付く物語だ。『ハコヅメ』という警察官の漫画も多く近親姦やレイプ事件について描いている。ちょっとずつ日本も近親姦を許さなくなってきた。

 だからこそ、この本を全ての人間に読んでほしい。女性の地位が上がったとしても、まとも男性が下げられることはない。フェミニズムとは、男女ともに性的少数者にとってもよりよい社会を作ろうとすることなのだ。

 私たちはみんな現代社会の当事者であるのだから。



【先生の講評】
重いテーマを四角四面ではなく書いてる。
「高校二年生の冬、暗い図書室」という描写が内容の禁忌さと合わさり、読者にも伝わりやすい。

現在の日本と繋げる書評としても良い。自分にちかづけている。

『人権の基本図書になる』と思わせる書評。


そして、私。
高校生の時に読んでから、本当にまるで自分のことかのように思えるほど感情移入をして危機感を持った。今の日本では、こういった子供たちを守ろうとする人は少ない。いや、増えてきた。明らかに増えてきたが、それでもなお、きっと助けを求めてる人はもっといて苦しんでいる。
映画『ファーストラブ』を見た時、うちに溜まった何かが爆発したかのように私は冷静でいられなくなった。
もしかしたら、私は気づいてないだけで、何かそう言った被害を受けていたのかもしれない、そう思える。平気に生きてきたと思う、痴漢にすらほとんど会ったことがない。だけど、何故か私の心は、ざわめいた。苦しくて息が出来なくて、死にたくなった。全員殺してしまいたい、それぐらいの強い怒り。

この記事は、『ファーストラブ』を見たあとに積もり積もった感情を吐露したものだ。

生理について触れた文章も根底にある嫌悪感を描いた。自分の体が嫌いだった。いや、女性であることが嫌だった。

ずっと前から気づいていた。私には根本的な女性嫌悪があると。でも、それに気づいたと同時にこの本を読んで私が悪いわけじゃないと思える。なにか理由があるんだ、私の中から自然と出た元々の感情ではなく、誰かによって植え付けられたものであるんだと。

だからこそ、声をあげれるうちに声を上げていこうと思う。そう思わせる力があの本にはあった。
苦しくて苦しくて仕方がないこの本は私の抗いの意思を強くした。

誰かによって植え付けられた恐怖、嫌悪を、
私は出来るだけ外していきたい。
そのために文章を書いているんだろう。
このnoteだってそうだ。

誰の力にもなれないかもしれない。だけど、声をあげないのは違う。少しでも、0.000001でも誰かに何かを渡せたらいいと思う。
けれど、そんなことより私は私を救うために書いているんだとやっぱり思う。

痛くて仕方ないと思う。
最悪だって目を背けたくなる。
だけど、この本を誰か手に取って読んでくれ。
私のように一度苦しんでくれ。
でも、その痛みは確実に何かに変わる。
こんな事実から目を背けていてはいけない。

なんて書いても、本当にわかってない人には伝わらない。
既に気づいている人には辛いだけだろう。
だけど、本当にいい本なので読んでください。

ひとりじゃないと分かるから。
この世は偏っているんだと分かるから。
強い男の人のためだけに作られているんだって分かるから。
でも、もうそんな時代も終わり始めたんだって思えるはずだから。

誰かに届け。
届いてくれ、痛む人に。
届いてくれ、痛めてる人に。
届いてくれ、いつか痛がる人に。

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