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僕はポンコツだけど楽しく生きていけるかな #畦地健誠 さん

畦地健誠さんの受験版タイガーファンディング、仕事しながら聞いてたけど、もっかい見た。

涙が止まらなくなった。
勇気づけられた。
ワーホリに来てることとか、自分がホテルでrunnerっていう単純で非生産的で大学の同期とはかけ離れたレベル感仕事をしているのも相まって、色んなことを考えさせられた。

『ケーキの切れない非行少年』という作品が私はすきだ。

そこに出てきてもおかしくないほどコミュニケーションに難のある1人の人間がが歯を食いしばっている感じ。

コメント欄はバカにするコメントで溢れてたけど、私は率直に、めちゃくちゃかっこいいと思った。

後で収録し直した動画で、「非の打ち所ばかり」「こうなってしまっても仕方ない」とめちゃくちゃ受け入れてたのがかっこよかった。

彼は「こんなことになるのも仕方なかった」「人生が変わった」「みんなが背中を押してくれる」と、謙虚に振り返った


頭が悪くて色んなことが思いつかなくて、考える力がなくて、考える力がある人に色んなことを言われて、傷ついて、すみませんが口癖になって、コメントでもボロカス言われて。
それでも前を向いて頑張ってるのすごい。

動画内での、「22歳まで親の庇護の元で生きてるのに、文句言ってんじゃねえよ」の言葉が重たかった。
この動画の虎の人たちが先天的に能力が欠落している人達に寄り添いきった思想を持っているとは考えにくかったけど、逆に、お金の重みを感じている大人の意見として重たく受け止めた。

25になっても仕事辞めてニート、親の庇護の元でニートをしながら四半世紀の誕生日を迎え、誰かに祝ってもらいたくてLINEの設定まで替えて誕生日アピールしたりした。結果的に連絡が来たのは家族親戚と親友と昔バイトしてたときの塾の教え子だけ。

なんか色々な面で、自分のスペックが本当に情けなくて。

何のために私立大学に進んだ?
何のために浪人せず留年せず卒業した?
何のために進学した?

畦地さんほどには、アスペルガーの特性はないかもしれないけど、自分も動画と似たようなミスを人生において何度もおかしてきたし。

・過激な発言で周りをドン引きさせる
・突飛な行動で損をする
・目の前のことに飛びつくが、それに集中してるかというとそういうわけでもない
・俯瞰して自分や物事を見ることが出来ていない
・勢いだけで進もうとする
・他の人に「変だね」といわれてばかりいる
……
こういうのは、自分も散々味わってきた

自分は、何かを頑張って結果を出したり、創造的なことをするのには向いていないかなと感じた。

いつもご機嫌でいること、自分のキャパにあった仕事をすること、こんなダメな自分でも必要とされ誰も傷つけない生き方をすること、それを求めた上で、金銭的に豊かに暮らすのは最低賃金が高くそれでも生活水準を高く保てる国で「精一杯やるだけで認めてもらう」それがいいかなと思えた。

精一杯やると、何より心が爽やかだ。

だから、やってること自体は大したことなくても、精一杯やってたいな。

ココ最近ランナーとかrubbishの片付けやってスッキリした気持ちで帰れている。

数時間かけてホテルの部屋中からせっせとゴミをかきあつめて、ゴミ山を作るだけなんだけどね


もう自分の知的レベル的に、また器的に、閾値が低すぎる。

すぐ怒っちゃうし、自分で自分の機嫌取れないし、物事を客観的に見れないし、変な発言は止まらないし、空気読めないし、結婚前から不倫されてても気づけないし、教師やってても失敗だらけだし、なんかもう、多分自分が社会的にスケールすることは無いんだ。

でも、なくてもいいじゃないか。

大事な人を大事にできて、好きなことができて、健康的に生きられるなら、それでいいじゃないか。

与える側になりたい。
自分の利益ばかり考える自分が恥ずかしい。

そんなことを考えられたのはワーホリに来たおかげだ。
日本で同じ仕事をしても社会的な立場の低さやシンプルな収入な低さから滅入ってしまうだろう。
価値の低い仕事で高い給与を得るという奇妙な状況がなければこんな考えには至らなかった。

強いて言えば、料理とか、言語とか、マジックとか、話術とか、持ってるだけで誰かを幸せにできるようなskillをいっぱい手に入れよう。
筋トレして禿げないようにストレスを受け流して体に悪いものを減らしてさ。

知能検査とかも受けよう。

多分102-6くらいじゃないかな?文章とか受験にはギリ支障ないけど、確実に頭は悪い。昔「如意」っていう意味わかんないレポート書いたくらいだし。

もういちど、自分の空気読めてない変な発言とかも含め、正直にカウンセリングしてもらおう。


そう思うと、生まれてきたことへの感謝の気持ちがわいてきた。

まず、何不自由なく大学に通えたこと、しかも文系に進学させて貰えたことを本当に有難く思う。

アフリカにも行った。
その資金こそ稼いだが、稼いだお金をそこに回せるのは結局家庭の経済力が太かったからだ。
それが、今の人生の選択につながっている。
「人生世界のどこかに居場所はつくれるのでは」みたいなね。(それだけでワーホリ来たわけじゃないけど)

しかも幸か不幸か、帰国子女ブーストで英語力がバフになってくれたお陰で、明らかに自分の知的レベルの身の丈より上の大学に入ることができた。

親の課金に囲われた形になる。
これ、自分で言う分には良いけど、人に言われると努力を認めて欲しい感じでモヤモヤしてしまうこともあるし、努力をしたこと自体は嘘じゃないけど、でもやっぱり親のおかげだ。

令和の虎見て共感性羞恥感じないとそんなことも考えに至らないなんて。

大きな怪我や病気をせずに生きてこれた。

それを支えてくれた、栄養のある食事、安定した居住環境、丈夫な体。

何度も死にたいと思った時、思いとどまらせてくれた人が今まで何人いたことか。

こんなデバフがついてるなら死にたい、こんなふうに育てるくらいなら産まないで欲しかった、今まで何度もそう思ってしまったし、よぎってしまった。

でも、何かに精一杯打ち込んで、さわやかなきもちになることができる。

知的なこと、いや、知的と言っても大それたことじゃない、本を読んだり、なにかの作品に考察をしてみたり、色んなことにかんがえをめぐらせたり、そういうことができる。

その上で、それさえ出来れば世界のどこかでは何とか生きていけるであろうという最低限の基盤も見つけた。

日本にいると、能力もなく恥を感じすぎて罪悪感すらわきでてくるけど、そこにずっといなくてもいい。帰りたくなったら帰ればいい。

そういうことが頭にどんどん浮かんできて、涙が止まらなかった。

欠陥だらけの自分にも、まだ楽しくかつ豊かに生きていく術がある。

そういうことを考えた、今日も大事な日になった。

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