いい人生が目的、いい歯は手段。見た目より大切なもの 120点の女曰く
誰かと比べて"いい歯"なのではなく、自分にとっての"いい歯"でありたいと思っている。
30代。この世代に限った話ではないが、現在私の見ている世界だと、自分の歯がある、ない、噛める、噛めない、という話題より、歯の色(ホワイトニング)や歯並び(矯正)など、見た目の美しさにフォーカスをあてたようなものを目にすることが多いように感じる。(矯正には見た目だけではない健康に影響するメリットもあるとは理解している)
これが世代が上がると、自分の歯を失う機会が増え、入れ歯がどうだこうだ、話しづらい食べづらいという今とは違うテイストの話が増えてくるのかもしれない。(80代の祖母が先日入れ歯デビューしたようなので、今度感想を聞こうと思っている。)
世間一般的には、見た目が整っているとは言えない歯でも、日々出来る限りの努力をし、衛生を保ち、しっかり噛めて、しっかり食べられていれば、人類が生きていくための歯としての役割は果たしているのではないかと思う。
ただ、歯というものは自分の努力だけではどうしても限界があるので、歯科医院でのプロフェッショナルケアを受けることも必要だ。
矯正を検討していた時期もあったが、やらないと決めた。ただ、検討をするくらいの状態ではあるので、その分人一倍、日々の歯磨き、ヘッドの小さな部分歯ブラシも併用、鏡で磨き残しがないか目視で確認、舌磨き、液体歯磨きも合わせて使い、工夫と努力はしている。
おかげさまで、約30年、虫歯が出来たことはない。(そういう体質なのかもしれない。でも歯茎関係、歯周病には要注意だ。)
お世話になっている担当の先生に、
(歯並びの関係で磨きにくい部分があるという)マイナスがあるからこそちゃんと意識して磨けている!120点!
と言われたことが印象に残っている。
決して矯正を否定しているわけではない。噛めることは大事なことだし、もちろん見た目も綺麗に整っているに越したことはないが、歯並びが悪いのが悪、見た目をぴしっと綺麗に揃えるべきというような風潮には何だか思うところがある。
ただ、コンプレックスゆえ、勝手に、過剰にそう思い込んでしまっているのかもしれない。
そりゃ最初から綺麗なら綺麗がいいさ。
それに矯正はタダじゃない。お金も時間も体力も気力も使う。
それに個性だ。その人がそれを良しとしていて、噛めて食べているならそれでいいじゃないか。
悩んだ時期もあったが、今は、これも含めて自分だ、これでいいのだと思えている。幸い、友達もできたし、進学できたし、就職もできたし、優しい夫と結婚もできた。
今後歳を重ねて、若い頃に矯正しなかったことを後悔するような問題が起きるかもしれない。でもそこは自分で決めたことなので、その時はその時で向き合おうと思う。
見た目の変化によって笑顔が増え、自分に自信が持てるならば、それは心にも良い影響を与えていると思う。
見た目がもたらす印象は確かにあるが、
人間見た目だけじゃない。そう信じたい。
いい歯とは、見た目のことだけではなく、衛生的で、健康で機能的に問題ないことだと思う。
自分の歯でない義歯、入れ歯でも、自分に合っていれば、いい歯だ。
いい歯でいることは、口の中だけでなく、全身の健康にも繋がり、いい人生にも繋がっていると思う。
ただ、いい歯の持ち主だからと言って、何の病気や怪我もせず、絶対的な健康が約束されているわけではない。
いくらいい歯の持ち主でも、長生きするとは限らないし、いい人生であるとも限らない。
自分がいつか亡くなる時に、いい歯だったなというより、いい人生だったなと思える人生にしたい。
いい歯でいることは目的ではなく、
あくまで、いい人生を送ることが目的だ。
いい歯でいることは、その目的達成に対する一つの手段に過ぎない。
"いい人生"とは、
人によって考えは様々かもしれない。
こうすれば幸せ、こうすればいい人生、
こうなったら不幸、こうなったら悪い人生、
と、そう単純に定義できることではないだろう。
それに多様性の時代だ。
何が自分にとっての"いい人生"なのかは、
自分で決める。
でも痛いことは避けたいし、身体的にも精神的にも健康でありたいという思いは、多くの人の考えの根底にあるのではないかと思う。
自分にとって"いい人生"のために今できることを。
自分にとって"いい歯"のために今できることを。